monologue : Other Stories.

Other Stories

海、自殺願望

死のうと思った。会社は倒産したし、妻には逃げられるし、借金はふくれる一方、再就職のアテもない。三十代も折り返し地点を過ぎると選択肢がせまくなる。父はもういないし、母には迷惑をかけられないし、いろいろな生活費だって滞納しつづけている。このままでもいつか餓死してしまうだろう。

だから死のうと思った。

見晴らしのいい岬に来てみた。借金取りから免れた愛車で、助手席に荒縄なんかを乗せて。車で海に突っ込めばいいのだが、せめて母には何か残そうと思った。僕が死んでも、車を売れば……墓石代くらいにはなるかも知れない。

海はキレイだった。きっと何の汚れも知らないのだろう。深夜二時をまわっても、海は動くことをやめていなかった。

岬に立ち並ぶ木々の、ひとつの枝を選んで縄をかけた。当然、首を吊るつもりでここに来たのだから。

波の音が響き渡り、僕は死ぬ準備をした。

一瞬、波の音が消えたような気がした。

何とも思っていないはずだった。死ぬことに対して何の抵抗もなかったはずだった。

でも、違った。

首に縄をかけて、車のドアを踏み台にして、それを勢いよく蹴ろうとした瞬間だった。さあ、片道切符で出発しよう、と思った、その瞬間だった。突然何かの回路が壊れたかのように、ぼろぼろ涙が出てきた。嘘みたいに泣いた。数年来、どんな映画でも泣かなかったくらいの僕が。

キレイな海の音が響いた。

それからどれくらい経ったのか覚えていない。人生での規定量を前借りするくらいに泣いた。

海はキレイだった。

でも、キレイな海は汚れていないわけじゃなかった。その体の中に、幾千幾万もの命を抱えて、いくつもいくつも死を見届けてきたのだ。休むことなく波を起こし、いくつもの命のやりとりを見てきたのだ。海が、僕に何か語りかけてくるような気がした。

気が付いたら朝日が僕を照らしていた。首に縄をかけたまま、僕は一晩を明かしていた。暖かい日に照らされて、また嘘みたいに涙があふれてきた。

死ぬのをやめた。もうガソリンも切れていたので、近くの交番まで何とか歩いて、そこで電話を借りて母に連絡した。

母も泣いた。そして怒った。

帰って来いと言ってくれた。

僕は、死ぬのをやめた。母のところに戻って、それから先はまたそのときに考えることにした。僕は、死ぬのをやめることにした。

今日も海は休んでいない。

きっと今日も波を起こして、必要以上の命のやりとりを見ているのだ。幾千幾万もの命を抱えながら、いくつもいくつも死を見ているのだ。

Fin.

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