monologue : Other Stories.

Other Stories

長い長い手紙 : 7/12

時計を見なくても時間がわかるくらいの寝覚めだった。十年近く会社勤めをしている間に養われた習慣で、休暇中もそれは変わりなかった。僕はそのことに少しだけうんざりしながら、昨日とったメモをあらためて見直した。

「本間千佳子 西区中錦町広前通り五の三」

彼女の今の名前と住所だ。相変わらずイメージは湧かないが、それは彼女に会ってみれば解決する問題だろう。とにかく、今日はこの住所まで出向いてみよう。携帯に母から三件ほど着信があったが、着信音を消していたので気づかなかった。気にかけるのも煩わしいのでそのままにしておこう。

「西区中錦……あれっ」
「お客さん、昨日もご利用されてました?」

通りに出てつかまえたタクシーは、偶然にも昨日と同じ運転手だった。時間も場所も近いからだろう。

「そうみたいだね。今日は西区中錦町まで」
「何かお仕事の関係で?」
「んーと……ちょっとした謎解きみたいなものの続きだよ」
「謎解き? ミステリーみたいなものですか?」
「うーん……当たらずとも遠からずってところかな」

僕はちょっと優越感にひたって、運転手をじらしてみた。接客マニュアル通りなのかは知らないが、運転手は喰らいついてきた。

「私ミステリー大好きなんですよ! 一体何があったんです?」
「でもこれはごく私事だからなあ…… "仕事" じゃなくて "私事" ね」
「意地悪言わないで教えてくださいよ、誰にも言いませんから」
「まだ物語の途中みたいなところだから」
「触りだけでも! 次にご乗車されたときに最後を話していただけるように」
「なんだ、次の乗車も予約しようってのかい」

そう冗談半分に言うと、僕は運転手の名前を確認した。柴山タクシー、蜂須賀順治、45 歳。手帳にすばやく書きとめると、頃合いを見計らって言った。

「もうすぐ目的地に着くのかい? じゃあ、触りだけ教えとくよ」

冗談半分の予約が通って、運転手はそっちの方が嬉しそうだった。もっとも、どっちが嬉しいのかなんて僕にはどうでもいいのだが。タクシーが減速し始めた。次の交差点を過ぎたあたりか、と目星をつけて僕は言った。

「差出人不明の封書に、62 円切手と 18 円切手」

それだけ言うと僕はさっさとタクシーを降りた。運転手は不思議そうな顔で、しばらくじっと目の前を見つめていた。が、やがて我に返るように職務に戻っていった。

「十何年も前の手紙なら、切手料金も不足してるはずだ」

18 円分の切手は渡辺先生の自腹だと言う。どうせなら 62 円切手を 80 円切手に貼り替えればいいのに、とも思った。が、もしも切手が貼り替えられていたなら、僕はこんなに興味をひかれてはいなかったかも知れない。

「差額はそのうち恩返ししなきゃな」

そんなことを考えているうちに、僕の足は目的地へたどり着いていた。

表札には "本間" とある、質素で家庭的な雰囲気のする一戸建て。見晴らしのいい通りに面していて、静かすぎずうるさすぎない。中流家庭が理想に描くような場所に彼女の家はあった。

「今度は間違いないな」

表札の下に家族全員の名前も書いてあり、そこに本間千佳子の名前はあった。今度こそ彼女の家に間違いない。

「……えっと、はじめましてとお久しぶりです、どっちがいいんだろう」

何かに直面すると考え込むのは僕の癖だった。こんなときは強行策で突破した方が、なるようになってうまくいくものだ。そう考えたときには、もう右手がインターホンを押していた。

「……はじめまして、お久しぶりです……」

繰り返しつぶやく。

「……はじめまして、お久しぶりです……」

まだ出てこない。

「……お出かけ中かな?」

よく考えたら今は盆休みだった。家族で旅行に行ってたって何の不思議もない。というより、出かけていると考える方が自然かも知れない。

「……出直すか」
「ちょっと、ちょっと」

立ち去ろうとした僕に、背後から誰かが声をかけた。驚いて振り向くと、本間邸の隣の家から、中年の女性が顔だけ出してこっちを見ていた。なんだまたおばさんか、と心の中で小さくつぶやく。

「あの……本間さん、ではないですよね?」
「当たり前じゃないの、うちの表札が見えないの?」

割とそんなことはどうでも良かったが、話を合わせようと隣の表札を覗き込む。

「竹中さん」
「そう。本間さんとこに何か用なの?」
「えーと、その……同窓会の出欠連絡に」

使用済みの言い訳を使いまわすあたり、僕のボキャブラリーは思ったより少ないのかも知れない。悪くない言い訳だとは思うのだが。

「同窓会? あなたお友達なの?」
「ええ、まあ友達って言っても高校の頃のですが」
「あら、じゃあ知らなくても無理ないわね。本間さん、来れないわよ」
「は?」

また間の抜けた声を出してしまう。このおばさんが断言してしまう材料を、僕は必死に探してみた。しかし本人をよく思い出せない以上、僕にそれを見つけるのは不可能だろう。ということに気づくまで三秒とかからなかった。

「どうしてです? 旅行にでも?」
「千佳子さんのことよね、あなたの年からして」
「ご名答ですけど、どうして彼女」
「彼女、今中央病院に入院してるのよ。今というか」
「は?」

また肩透かしをくらった僕は、せめてこの人から聞けることを聞き出そう、と考えた。

To be continued

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