monologue : Other Stories.

Other Stories

丘の上の秘密

「うわっ、すごい風」

吹き抜けた突風に上着をはいでいかれそうになって、しのぶは襟元をぐっとつかんだ。春が近いとはいえ、まだまだ風は冷たい。それは、今日のように日がやわらかく射していても同じことだった。

「変わらないな、この風景」

誠は一本だけ立っている木の下で、遠くを見つめて言った。小さな丘だが、平坦な土地柄のこの街ではずいぶん目線が高くなる。二人は、その小さな丘の、頂上の木の下に立って、まわりをぐるりと見渡していた。

「変わらないな、本当に。十年以上ずっとこのままだ」

つぶやく誠を見て、しのぶも同じように遠くの方を見た。いくつかの民家と、社員寮のような建物と、歴史のありそうな商店街。しのぶの目には情緒のある日本的な光景として映る景色だが、幼年時代からここで過ごしている誠にとってはそれ以上のものなのだろう。しばらく遠くの方を見つめたまま、誠はじっとしていた。

が、突然口を開いてこんなことを言った。

「君は、健太や浩二のこと覚えてる?」
「高崎くんと柴山くんのこと?」

しのぶと誠は、幼少からの幼馴染ではないが、中学校は一緒だった。今誠の口から出た二人は、誠の小学校時代からの幼馴染で、中学と高校も一緒だった、彼の親友の名前だ。

「そう、高崎と柴山。懐かしいな。覚えてる?」
「覚えてるよ。あの二人、昔から悪ガキで有名だったんでしょ?」
「うん。僕もよく一緒につるんでた」

どうして急に二人の名前を出したのかはよくわからなかったが、しのぶは黙って誠の次の言葉を待った。何か懐かしい出来事でも思い出したのだろう。

「昔さ」

また遠くを見つめて誠がしゃべり出す。

「この丘に、いつも爺さんが立ってたんだ。険しい顔して、ずっと遠くの方を見てた」
「お爺さん? 誰の?」
「わかんない。家族はいないって噂だった。いつも丘にいるから、丘爺って呼ばれてた」

そう呼んでたのは僕らだけだけど、と誠は照れ笑いして付け加えた。

「なんでいつも丘にいるのかとか、怖い顔でどこを見てるのかとか……気になってさ」
「うん」

また風が吹いたが、今度は緩やかな風で、しのぶは襟をつかむ必要はなかった。

「いろんな噂が流れてたんだ。家族は事故で死んじゃって、この丘にその骨が埋めてあるんだとか、何か組織の活動をあそこから見張ってるんだとか。子供の想像力のおかげで、丘爺はいつのまにか有名人になってた」
「へえ、私全然知らなかったな、そんな人のこと」
「僕らが小学生のときに引っ越していったから。五年生の夏だったかな」

しのぶと誠が出会った頃には、もうそのお爺さんはいなかったということらしかった。しのぶは黙って話の続きを待った。

「本当に毎日丘の上から何かを見張ってるみたいだったから、ある日、健太と浩二が僕に言ったんだ。『丘爺が何を隠してるか突き止めないか』って」
「お爺さんが丘の上にいた理由?」
「うん。家族がどうとか、組織がどうとか、冒険心をくすぐられたんだろうね」
「どうやって突き止めるつもりだったの?」
「『俺たちが落とし穴を掘る。お前は丘爺を挑発してこい。穴に落ちたら尋問開始だ』って、子供の割に嫌な知恵働かせてさ」

誠は、また少し照れくさそうに笑った。

「なんて挑発したんだったかな。子供らしい悪口ってのを言ったのかも知れない。石でも投げたかな。よく覚えてないけど。それで、丘爺が僕に気づいて、険しい顔のままこっちを見たから、僕は慌てて落とし穴の方へ逃げた」
「追いかけてきたの?」
「さあ、どうだろう。気がついたら丘爺が何か叫んでるのが聞こえて、僕は急に、視界が壊れたカメラの映像みたいになった。何が何だかわからなかったけど、気がついたら目の前に丘爺がいて、僕の体を気遣うようなことを言ってた」
「どういうこと?」
「僕が落とし穴に落ちたみたいなんだ。それで、丘爺が慌てて僕を助け出したらしかった」

丘の頂上の木の幹をさすりながら、誠は懐かしそうな表情で話を続けた。

「厳しそうな顔だったけど、とても気遣ってくれてるのがよくわかった。何度も何度も、大丈夫か、怪我はないか、痛いところはないか、って。なんでかわからないけど、そんな丘爺を見てたら、なんだか涙が出てきたんだ」

どこかをぶつけて痛かったのか、ただ丘爺が思ったより怖くなくて、優しくしてくれたからか。どっちだったのかはよくわからなくて、ただ泣けてきた。そう言ってまた、誠は遠くを見つめた。

「僕は丘爺に謝った。悪口を言ったことも、尋問しようとしたことも」
「お爺さんはなんて?」
「笑って許してくれた。丘爺は、思っていたよりもずっと温和な人で、子供好きだった。僕にいろんな話をしてくれた」
「思わぬところで友達ができちゃったのね」

しのぶは皮肉っぽく言ってみせたが、誠はただ微笑むだけだった。

「それから、ちょくちょく話をするようになってね」
「この場所に来て?」
「うん。丘爺はここにしかいなかったから。学校帰りに立ち寄って」
「高崎くんたちは?」
「あいつらは来なかったよ。うしろめたい気もしてたんだろうな。僕とは普通に接してたけど、以後丘爺のことは話題にしなくなった」
「それで、わかったの?」
「何が?」

一瞬素の顔で問いかける誠に対して、しのぶはちょっと呆れたような仕草をしてみせた。もう、と吐き出すように言って、もう一度問いかけた。

「わかったの? お爺さんがここにいた理由。何を見てたのか、とか」
「ああ……そのことか。わかったよ」

なぜか誠は声をあげて笑って、不思議そうな顔をしているしのぶに言った。

「引っ越す三日くらい前にさ、僕に引っ越しのことを告げて、その後、丘爺がいつもここにいた理由を聞いたら、『誰にも内緒だぞ』って言って教えてくれた」
「何だったの? 家族?」
「いや、丘爺の家族は皆元気だったよ」
「じゃあ何かの仕事?」
「とっくに定年だったんじゃないかなあ」
「じゃあ何なの?」

誠は黙って、丘から見える建物のひとつを指差した。その建物はアパートのような格好で、少し古びていた。

「あの建物?」
「あー……君はここの生まれじゃないから知らないか」

そう言うと、誠はまた笑い出した。

「あそこさ、鉄鋼工場の女子寮だったんだ。丘爺は毎日険しい顔して、女子寮を覗いてたのさ」

誠はこらえきれないといったように、一層大きな声で笑い出した。しのぶは呆れ果てて声も出ない顔をしている。

少し冷たい風が吹いて、一本だけ立っている木の枝を揺らした。

Fin.

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