monologue : Other Stories.

Other Stories

いつかのこと : 2/3

「え、ちょっと今何時?」

僕と同じくらいにまどろむ彼女の声で、右手が無意識のうちに動く。やがて目覚まし時計を探り当てると、顔の上にそれを持ってくる。自分で確認した後に、彼女にも見えるような角度に時計を傾ける。

「十時とちょっとくらい」
「……遅刻!」

そう叫ぶと彼女は飛び起きて、僕を飛び越えて洗面所に向かった。

「今日何かあったの? 先に言ってくれれば目覚ましかけたのに」
「何か、ってほどでもないんだけど」

そう言う割に、彼女の両手はフルスピードで動いているように見えた。こんなに慌てた彼女を見たことはない。

「ごめんね、ちょっと急ぐから」

少し息切れしながら言うと、脱ぎ散らかしてあった服をかき集めて着替え、鞄を右手に引っ掛けて彼女は玄関へ向かった。

「どこまで送っていけばいい?」
「いいわよ、そこらでタクシー拾ってくから」
「遠慮しなくても、いつものことなんだし」
「本当にいいの、気にしないで。じゃあね」

彼女は起きてから一度も僕の目を見ないまま、逃げるように部屋を飛び出して行ってしまった。何となく腑に落ちないまま僕は、昨日見なかった映画の DVD をデッキにセットした。

今朝はごめんね、慌ててたから。また電話する。

昼過ぎに届いた彼女からのメールは普段のどんなメールより短くて、二人の関係のために良かれと思って送ったのだろうけれど、余計に不安定な感情を抱かせるだけのものだった。

(どうして送っていくのを断ったんだろう?)

彼女を送るのはいつものことだし、今朝もそうするものだと思っていた。遅刻なんて言ってたんだからなおさら、とも考えていた。どうして彼女は今朝に限って、僕に送られるのを嫌がったんだろう?

(嫌がった、は違うかな)

遠慮した、でも大して違いはないように思うのだけれど。

どうして今朝は送らせてくれなかった?

自分が言いたいことを率直に吐き出せたらどんなにか楽だろう。感情を全部表現しきれるほど、僕は日本語が達者でないらしい。

別にどう、ってこともないけど、人と会う約束があったから。

「人と会う、か」

なんとなく言葉に出して彼女のメールを読む。

彼氏、じゃないんだよね?

彼女は恋人の話をするとき、会話でもメールでも「人」とは言わない。必ず「彼氏」か「あの男」なんて呼ぶ。「彼氏との約束があるから」とか「あの男は私のことをわかってない」とか、僕が聞くのは大抵そんなことだけれど。ルール違反の関係である僕らにとって、彼女と彼氏のやり取りを僕らが共有しておくこと、つまり、彼女の彼氏に対する愚痴や文句を僕が聞き入れることは、僕らが問題なく関係を続けていくための暗黙のルールだった。

(ルール違反者がルール、なんて馬鹿馬鹿しいけど)

つまりそういう理由で、彼女は彼氏とのことはほとんど何でも話すし、そのおかげで僕らには恋人同士の駆け引きのようなものは一切なかった。いつからか、それが僕と彼女の関係の前提にもなっていた。

ごめんね、後でまた電話するから。

隠し事がなかった僕らの関係、だったからこそ、彼女の態度が納得がいかなくて、テレビから聞こえてくる音声は何も面白くは感じられなかった。借りた DVD はどれも彼女が選んだものだったから、余計にそう思えてきたのかも知れない。

結局その日、彼女から電話はなかった。

To be continued

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