monologue : Other Stories.

Other Stories

終わりの声

「世界を動かすなんて難しいことじゃないわ。例えばスイッチひとつをひねるだけでも可能だし、朝起きて冷蔵庫を開けるくらいのカロリーだって必要ないのよ」

その声に呼び覚まされるように、自分が今いる場所が視覚を通して情報として脳に流れ込む。明かりを消した暗幕の裏のステージのような場所、僕にだけ当たるスポットライトのような光、フローリングの床に似つかわしくない、書斎にでも置かれるべき荘厳さを備えた少し古いデスク、それと向かい合って椅子に座っている僕。机の上にはいかにもそれらしい万年筆や、何枚かの事務的な書類、それを机に押さえつけておくための重石、少し古い装丁の有名な小説。誰かがついさっきまで息抜きに読んでいたのか、しおりが無造作に挟まれている。

「例えばあなたが世界一の軍事国家の大統領なら、引き出しの奥に隠された秘密のボタンで世界を終わらせられるでしょう。そんな秘密兵器を使わなくても良いかも知れないわね。それはとても簡単なことだわ」

どこかから聞こえてくる声。やや幼い女の子の声のように聞こえる。けれど終演後の舞台裏のようなこの場所では、数歩先も真っ暗に染められていて、誰かがどこにいるのか、どこかに何かあるのか、それすらも判断することは難しい。僕に見えるのは、光の当てられた僕の周りだけ、この机から数メートル程度の範囲だけ。

「ただ、残念ながらあなたはそんな身分ではないみたい。そんな分不相応な力を持ち合わせたポストには就いてないわね」
「……誰だ? どこにいる?」
「念のため、机の引き出しの奥を確認してご覧なさいな。どこにも秘密兵器のボタンは隠されてないわ」

机の引き出しをひとつずつ開ける。右手の上の段、中の段、一番下の段。どこにもそんなボタンらしきものはなかった。

「……なんなんだ? ここはどこだ? 僕はどうしてここにいる?」
「答えることは難しくないけれど、そんなに単純でもないのよ。あなたが今いる場所が現実の世界でないことは確かだし、そこにいるのはあなたの積極的な想いによるものではないことも確かね」
「何を言ってる?」

不可解な声はどこか遠くから響いているような、すぐ僕の後ろでささやいているような、つかみどころのない印象を僕に与えた。どこかで聞いたような声で、どこかで聞いた語り口のような気もするのだけれど。

「とにかく、あなたはそんな大層な机に座ってはいるけれど、何も力を持っていないことは確かなの、これは覚えておいて」
「だからどうだっていうんだ。どこにいる? 君は誰だ?」
「けれど、そんなことは大して問題じゃないの。あなたがどれだけ無力だったとしても、あなたには世界を変える力があるのよ。最後の引き出しを開けてご覧なさい」
「最後の?」

机の右手に配置された、チェスト部分の引き出しは全て開けた。残る引き出しは、僕の体の正面にある、少し幅の広い書類入れの引き出し。勢い良くそれを引っ張ると、何か重量のあるものが滑り出すような、そんな振動と音が伝わってきた。

「わかるかしら」
「……拳銃だ」

最後の引き出しの奥には、護身用と思しき拳銃が一丁隠れていた。護身用にしては少し大振りで、必要以上に殺傷能力がありそうなものだったけれど。

「世界を終わらせるのは、力のある人間だけの特権だけじゃないわ」
「……何を言ってる」
「誰にだって平等に機会が与えられているのよ。あなたにも、世界一の軍事国家の大統領にだって等しくね」
「僕は、世界の終わらせ方なんてものには」

無意識に右腕が動いたことに驚き、けれどどうすることもできずに自分の腕を見ていると、それは拳銃を掴み、握り締め、慣れた手つきで暗闇に照準を合わせた。

「僕は、そんなものに興味なんて」

言葉と裏腹に、僕の両腕は拳銃に弾丸が込められていることを確認し、銃口を右のこめかみに合わせた。

「そんな、ものに」
「嘘おっしゃい」

声が、少し冷たく、僕を非難する。

「ここにいるのはあなたの意志ではないでしょうけれど、ここへはそういう人しか来れないの。あなたはどこかで、それを望んでいるのよ。それも、かなり強くね」
「嘘だ」
「嘘なものですか。だってその証拠に、あなたのその腕は」

勝手に動く右腕の、引き金にかけられた人差し指に、力が入るのがわかる。

「そんなにも撃ちたがっているのに」

一瞬全てが暗転し、全身が浮遊感に包まれ、次の瞬間、また別の景色が僕の視覚から脳へ流れ込む。誰かが僕を呼ぶ声に気が付き、頭が叩き起こされて、情報を整理し始める。全身を這い回るようにしてから流れ去る冷たい風、見渡す限りの薄暗闇に無数に浮かぶ小さな明かりの点、遥か下の方から聞こえる、喧騒らしき喧騒、クラクション、人の声、背後から聞こえる、僕を呼び止める声。

「待ちなさい!」

さっきとは違う女性の声。さっきよりも温かく、厳しいような、そんな声。僕は声の方へ振り向き、自分のいる場所をようやく理解できた。ここは、どこかのビルの屋上だ。

「あ」

振り向いた瞬間にバランスを崩し、足元がやたらに狭く不安定なことに気が付き、そっちへ目をやる。足場なんてものはほとんどなくて、僕がさっきまで立っていたのは、フェンスと外壁の間のわずか数十センチの線上だった。体が風に煽られ、さっきより現実的な、重力を伴った浮遊感にさらわれ、景色が加速しながら上方へ流れ始める。

「世界を終わらせるのは、力のある人間だけの特権だけじゃないわ」

さっきの女の子の声が頭に響く。

「そんなにも撃ちたがっているのに」

僕は、どうにかして死にたがっていたのだろうか。だからあんな、真っ暗なステージのような場所にいる幻覚を見たのだろうか。もう何も思い出せない。あの幻覚の前に、僕がどこでどんな人生を送っていたのか、なんて。

「あなたはどこかで、それを望んでいるのよ。それも、かなり強くね」

そういえばあの声、どこかで聞いたことがある。遠い昔、幼馴染にあんな声の女の子がいなかっただろうか。彼女は、どうしているだろう? 僕がそれを知るには全てが手遅れであるような……いや、違う。彼女はもういない。彼女は死んだ。彼女は死んだ。彼女は死んだんだ。自ら、命を絶ったんだ。

「世界を終わらせるのは、力のある人間だけの特権だけじゃないわ」

彼女が僕を呼び寄せて? まさか。

まだ僕は落ちている。もう、かなりの速度なのだろう。頭の中に響く声は、あと何度繰り返されるのだろう。次の涙を流す頃には、全て終わっているのだろうか。

「世界を終わらせるのは、力のある人間だけの特権だけじゃないわ」

Fin.

Information

Copyright © 2001-2014 Isomura, All rights reserved.