monologue : Other Stories.

Other Stories

僕はただ悲しい振りをする

「だけど、あなたはもう」

電車は大した速度を出して走りはしなかったが、それでも先頭車両の最前部の席から見る景色は他のどこから見るものより素敵で、それは車線の制約上から大した速度が出せないことなど吹き飛ばしてしまうほどのものだった。もっとも、それほどの速度をこの電車に乗る乗客のうち何割が必要としているかは知れないが。午後にもらう約束のあった電話のことなど、僕はもうすっかり頭のどこかへ追いやってしまっていた。

(トンネル、陸橋がいい。一瞬、何も見えなくなるのが)

そうして大した速度で走らなくても、陸橋の下を走るときには不思議と、ごう、という音を響かせて通り抜けるのだった。一瞬光が遮られ、暗い場所に慣れていない目には何も映らなくなり、しかしまたすぐに次の光が飛び込む。大きな木の枝をくぐるときにも、ごう、と音を響かせることには変わりはなくて、この田舎くさい路線が情熱的な速度の代わりに得ているものは、こういった中途半端な自然なのだろう、と自分に言い聞かせもするのだった。

「あなたはもう、僕のことなんて考えていないじゃないか」
「そんなことないわ、だからここへ、今日こうして」
「だけど、あなたはもう」
「そんな悲しいことを言わないで、お願いだから」
「僕と、二人だけの秘密を共有する気はないんだろう?」

また陸橋をくぐり、音を響かせ、ゆっくりと速度を落としながら道なりに曲がる。僕は、仕事の都合で今日の午後にもらう約束のあった電話のことを考えていた。それのことは決して忘れたわけではなくて、景色に夢中になっているようで僕は、ただ目を奪われているだけだということにも気付いていた。心まで奪うほど素敵なことなんて、滅多にお目にかかれない。

「僕は、もうあなたにとって何も特別じゃない」
「皆わたしにとっては特別な存在なの、何にも換えられない」
「あなたは、自分がどれだけ酷い申し出をしているかもわかってないんだよ」
「どうして? これからも、仲の良い友人として」
「僕をその他大勢の列へ並べて、ぐるりとあなたを取り囲ませて、あなたとあなたの特別な誰かを祝福させて、そうしてくれる友人の輪が広がるのを、あなたはいつもの笑顔で見守ってるんだ」

やがて速度を落とし車掌が駅名を告げると、数十秒もしないうちに小さな駅が現れて、電車のすぐ隣へ滑り込むように近付く。扉が開き、片手で数えられるほどの人が降りて、扉が閉じる。ただ少しずつ中身を減らしながら、電車はまた次の目的地へゆっくりと突き進む。少しずつ中身を減らしながら、一日一日を乗り越えるために少しずつ擦り切れていく人間のように、どこかにあるのかどうかもわからない終着点を目指すような、そう、ふと頭に浮かんだ。

(電車に終着駅はあるよ。僕らとは違う)

電車は大した速度を出して走りはしなかったが、それでも先頭車両の最前部の席から見る景色は他のどこから見るものより素敵で、けれどその素敵さなんて、どんなくだらない言葉のやり取りにも劣って見えるものでしかなかった。僕は午後にもらう約束のあった電話のことを少しだけ考えながら、終着点と擦り切れるような素敵なやり取りと彼女の言葉を思い出しながら、もう少しだけ景色を眺めていようと決めた。

結局、電話は鳴らないままだった。

Fin.

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