monologue : Other Stories.

Other Stories

アロー, アロー

その後、どうしていますか? 顔を見なくなってから随分経ったような気がしていますが、実際はそうでもないんですね。感覚なんてあてにならないものです。

私は、もう少し旅行を続けると思います。お体には気をつけて。

走り書きの絵葉書を最後に投函したのは、いつのことだっただろうか。もう少し暖かい頃だったか、それともずっと暑い頃だったか。先週のことのように思えるけれど、半年前のことかも知れない。感覚なんて、あてにならないものだから。

「それ、ください」

旅行中に立ち寄った土産物屋で、荘厳な風景を一枚の写真の中へ押し込めた、少し窮屈な感じのする絵葉書が目に付いた。私は衝動的に、といっても別の買物のついでだけれど、それを買い求めることにした。

「あー、えっと……二枚、ください」
「同じのを? 別の絵柄にしますか?」
「同じのでいいです。二枚」

何度も確認するように、指を立ててまで伝えることに一生懸命な私に、店員は少しだけ普通と違う視線を投げた。私は咎められたのでもないのに、何か常軌を逸してしまったような、少しだけ後ろめたい気持ちになり、視線を落としてそれを気取られないようにする。

「千三百二十円になります」
「あ、いいです、袋、入れなくても」

財布からお札を二枚取り出してカウンターに置き、買物袋に絵葉書を入れようとする店員を慌てて制止する。そんなに慌てなくてもいいのに、彼女だって自分に危害を加えたいわけでもないのに。誰かが頭の中で言葉を漏らし、私は、ただ、また視線を落とす。

「すぐ、書きますから」

言い訳のように小さくつぶやくと、店員を直視できないまま商品を受け取る。半ば逃げるように店を出て、座って落ち着けるような場所を探す。

ストレスか疲れか何か、そういうものにいつの間にか体を蝕まれ、心を蝕まれている。学生時代には快活を絵に描いたような女学生だった私は、数年間をかけて、失敗や人付き合いや規則や、何よりも周囲の期待に耐え切れない、臆病を絵に描いたような社会人になった。

「お元気ですか……と」

仕事を辞めて、貯金を潰しながら、ふらりと旅行に出た。学生の頃は他人と関わることが好きで仕方なくて、全国食べ歩き旅行なんてしたいとまで思っていたのに、ここ数年間の私は一度も旅行に出なかった。おかげで旅先での振る舞い方もすっかり忘れて、まるで会社の上司と接するように、土産物屋の店員に頭を下げる。

仕方がない。今の私に必要なのは、とにかく勘を取り戻すこと。

「今日の絵葉書は観光名所のひとつで……写真に惹かれて……」

一枚は自分の記念用に、もう一枚は、同じような理由で私より先に退職した、同期の女の子に。何度も書いて暗記した住所を、滞ることなく走り書きする。

「よし、と」

一枚を鞄に入れ、一枚を投函するためにポストを探す。

彼女から返事が来たことは一度もないし、私もそれを期待してはいなかった。彼女に今まで送った絵葉書は二十四枚。そのうち、宛て先不明で返ってきたものは八通。これは、九通目の絵葉書になるのだろう。

「ずっとあんた宛てに絵葉書がきてるから何かと思って確認したらさ、全部差し出し人あんたの名前じゃないのよ、びっくりしたわよもう」
「うん、気にしないで。帰ったときに片付けるから」

自宅へ近況報告の電話をかけたときに、母が私に告げ、私は大して驚きもせずに、その事実と母の言葉を受け止めた。受け止めることができた。

どこかでそうなると予感していたのかも知れない。彼女が突然いなくなってしまうことを、そうなってもおかしくないことを、私は自分の身の上から、予感していたのかも知れない。予感してはいたけれど、それでも私は旅先から絵葉書を送ることをやめなかった。彼女との繋がりがどうだとか、そんな大仰なことを考えていたわけでもないのに。

「……よし、と」

少しくすんだ赤色のポストに葉書を投函し、一息つく。鞄の中にしまったもう一枚の絵葉書を手探りで触り、感触を確かめて少し安心する。

仕方がない。今の私に必要なのは、とにかく少しでも休んで、少しでも早く勘を取り戻すことなのだ。まだまだリタイアなんてするつもりはなかったし、可能な限り早いカムバックを、きっと数ヵ月くらい後の私は思うだろう。絵葉書を送る相手、そんなごくありふれたものが今の私には必要で、本当にそれが相手のもとへ届けられたかどうか、それは些細な問題なのだ。本当に、本当に些細な。

お元気ですか。今日の絵葉書は観光名所のひとつで、写真に惹かれてつい衝動買いをしてしまいました。久し振りの旅行は体力的にもなかなか厳しいですが、少しずつ楽しめているように思います。

そちらへ戻ったときに、たくさん話せることがあればと思います。では、また。

仕方のない、行方の知れない彼女のことを思いながら、思い出したように「お元気ですか」と口にする。仕方のないことだと割り切っていたはずなのに、堪え切れず突然涙が溢れたことに少し驚いて、けれど少し安心して、とにかく人に見られないよう、俯いて早足で街道を渡り切った。

Fin.

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