monologue : Other Stories.

Other Stories

ホール・ストーリーズ

東隣の街の人間は、少しの雨で傘は差さない。いつも霧の立ち込めるような湿度に包まれた街には、小雨なんてものとも思わない人間が集まるからだ。僕は、彼らが嫌いだ。雨に注意を払うことのできないやつらは、射し込む日差しの暖かさにも注意を払うことができない。雨天は気にしないけれど晴天には瞳を輝かせる人間を、僕は知らない。

記憶を頼りに探し当てた家具屋は、その街とこの街の境目にあった。「    」と書かれた看板はもうだいぶ古びていて、掠れた文字はかろうじて読めはするけれど、その店の名前を記憶に留めさせることは難しかった。読み取れない文字を記憶の中へ留めることは、思ったほど易しいことではない。

「……こんな店だったっけ、これ」

僕は自分のつぶやきがもっともなものであるような気がして、誰にでもなく一人うなずいた。古びた看板を掲げる家具屋の前に佇む僕は、美化されすぎた思い出を処分することを決めて、店には入らずに引き返すことを決心した。

本当は、名前なんてどうでも良かったのかも知れない。だからこそ思い出せないのかも知れない。僕はあの家具屋を本当は見つけたくなくて、それは思い出を捨てなければならないことを知っていたからで、そして今度はそれを思い出さないことで何かを無くさないように努力している、つもりなのかも知れない。そんなこと、何にもならないのに。

2002/7/14

今日は彼女の部屋の荷物整理を手伝った。    なんて、捨ててしまえばいいのに。彼女の部屋にある  の荷物は引き取り手が決まっていて、

デスクの引出しの一番奥に、古びた日記帳を見つけた。日付は十年前のものだ。よっぽど雑に扱ったのか、ところどころインクが流れ落ちている。雨ざらしにでもしたかのように、にじんで、掠れて、抜け落ちて。記憶も記録も大してあてにならないことを、読めない文字をなぞりながら確信する。

2002/7/17

    を   てなきゃならない。  から、僕の部屋に

記録から抜け落ちた名詞を記憶から補完して、当時の日々を思い返す。その記憶は僕の捏造かも知れないから確からしさなんて保証はできないけれど。

2002/7/22

友人の  を    だとかで、女友達の相談を が ける。とにかく、彼女の  はめちゃくちゃで、自分の   は間違っていない、としか言わない。僕は彼女が   とは思わない。

2002/7/28

           最悪だ。

記憶の奥底から、にじむように情景が浮かんでくる。思い返したくないことほど鮮明に思い返す、それは例え、恣意的に記録を削られたとしても。文字が読めなくても、記憶が消えない限りそれは消えない。それは、消えない。

2002/7/29

                             泣いていた。                           後悔するばかりだ。

翌日の日記は、にじむことなく塗り潰されていた。

例えばこの日記から、固有名詞だけを抜き出して消去したとしたら、僕はそれを他人事のように感じることができるだろうか? 店の名前を記さずに「家具屋」とだけ記していたら、僕は「    」なんていう家具屋を探さずに、あるいはそこへ偶然にも辿り着かずに、その記憶を誰かの物語だとして記憶していられただろうか? 空白で埋め尽くされた簡素な物語であれば、思い返すことを苦しまずにいられるだろうか。

「       でも     でも好きな鞄にしなよ」
「腹減ったなあ、  でも行く? なんかラーメン食べたい」
「この間買った    の MP3 プレイヤー、何か調子悪い」
「     の   買った? 観た後でいいから貸してよ」

空隙を埋めるのが個人の記憶だとしたら、その補完がなければ成り立たないようなものだとしたら、記録には何の意味があるだろうか? 誰に示すものでもなければ、あるいは、誰かに示すものであったとしても、何の意味があるのだろうか。

「構いやしないだろ、どうせ。俺が    を        にしたって、   の  にとってみれば、逆に        かも知れないんだからな!」

声にしないまま、仕草だけで笑い飛ばす。

Fin.

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