monologue : Same Old Story.

Same Old Story

タイムトリップ

" 懐かしいあの頃に "

「あの」

ドアを叩いたのは中年の男性だった。ぎりぎり首都圏に含まれる小さな精神科医院、それが僕の職場。他に従業員はいない。それくらい小さな診療所だってことだ。

「どうしました?」
「あの、週刊誌の広告を見たんですが」

小さいながらも、毎日忙しい。それなりに「売り」があるから、に他ならないのだが。

「その……タイムトリップ、の」
「ああ、あの広告の、ですか。まあそこらにお掛けください」

週刊誌で見たという広告は、間違いなく僕が出したものだった。

『当院にはあなたを青春時代へと誘う、タイムトリップのできる設備が設置されています』

いんちき広告だと思われるだろうが、これでなかなか効果はある。少なくとも、週に二回は問い合わせがくるのだから。

「その、それでタイムトリップというのは」
「まあ、とりあえず話をお聞きください」

あなたが普段何の仕事をされているのかは存じませんが、と強調してから、僕は何度も繰り返してすっかり慣れた説明を始めた。

「広告を読まれたならおわかりかと思いますが、当院ではあなたを過去へと時間移動させることができます。今時の新聞をご覧なさい、物騒なニュースが毎日一面を……」
「あの」
「通り魔、金融破綻、景気の下方修正……何か?」
「その、タイムマシンでもあるんですか」

僕は、少しやわらかい笑顔を作って答える。

「いえ、実際に時間移動をするわけでは」
「じゃ、催眠でも?」
「近いですが本質的に違います。記憶と意識の操作といいますか」

彼はよくわからないというような表情で黙りこくった。

「詳しくはお教えできませんが、ある装置によりあなたの記憶から、あなたが一番戻りたい頃の記憶を取り出し……つまり、意識だけをタイムトリップさせることができるのです」

彼はまだ理解ができていないようだったが、例を出して説明し始めると理解を示し、また大いに興味を示したようだった。

「その、タイムトリップ、させてもらえませんか。三十年前に」
「多少のリスクと値がはりますが」
「構いません。嫌になるような現実の合間に夢が見られるなら」

彼は承諾書にサインをし、記憶制御装置の制御下に入った。

「それでは、青春をもう一度楽しんできてください。ごゆっくり」

装置の電源を入れると、彼は眠りについた。

「また一人、か」

彼はしばらく目覚めることはないだろう。少なくとも、彼がさかのぼった三十年という時間を消費するまで。これはそういう装置なのだ。記憶を巻き戻して意識を眠らせ、ただ彼は青春時代の夢を見続ける。三十年前と寸分違わぬ、既成の現実を夢に見るのだ。

「現実逃避、だなんて言われるかも知れないけどね」

静かに眠り続ける彼に話しかける。彼が養うべき家族には、彼の保険から生活費が支払われる。その額は、きっと彼が働いて得る収入より大きい。

「人助けなんかじゃないことくらい」

ただ彼は現実に耐えかねて、記憶の中の過去へ逃げたがった。僕は少し、その後押しをしただけだ。罰も称賛も受けない。彼がそう求め、規約に了承して、自らの意思でサインをした。これはビジネスなのだ。

ふと新聞に目をやる。

『今、中年男性が危ない - 謎の病気? 原因不明の昏睡者続発』

「くだらない」

手に取った新聞紙をくるくると丸め、部屋の隅の屑かごへ入れる。

ぎりぎり首都圏に含まれる小さな精神科医院、それが僕の職場。求められる限り、僕は眠らせ続けるだろう。

Fin.

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