monologue : Same Old Story.

Same Old Story

陰影

多かれ少なかれ、誰にだって気に病む物事はあるものだ。それが自分の在り様にどれくらいの陰を落とすか、にしても。

「……なんだ、あれ」

それだけで説明するには強引なことも、たまにはあるが。

出勤途中、乗り換えのために降りた駅のホームで、文字通り真っ黒な男を見た。その男……多分男、は、見事なほど深い黒の服と鞄と靴とニット帽に包まれ、その顔さえも服装に合わせて真っ黒だった。空気に黒色絵の具をこぼしたようなその男は、表情を読むどころか、最初に人間だと気付くまでに時間を要するくらいだった。空間の裂け目から夜を覗き込んでいるような、そんな感覚。

(何なんだ……たちの悪い幽霊とか、そんなのみたいだな)

表情に暗い陰、なんてのはよくあることだ。けれど、全身が黒い影だなんて聞いたことがない。しかも彼のことを気にかけているのは、まるで僕だけのようだった。

(まさか本当に幽霊、なんてな……他に不思議に思うやつはいないのかな)

ホームを見渡すが、それらしき素振りの者はいない。僕は好奇心からつい、その男に歩み寄って背後に立った。

(……本当に真っ黒だ。影が歩いてるみたいな)

じっと眺める僕の視線に気付き、男がこちらを振り返った。僕は知らぬ振りを通そうと身構えたが、既に手遅れだった。

「何か?」

普通に語りかけるその男の行動に、僕は動揺の色を隠せなかった。不可解な非常が平静の動きをしている、なんて。

「あ、や、その……」

余程不審な僕の受け答えに一瞬間を置くが、男は静かに切り返した。

「まさか、僕が影のように見える?」

心臓を掴まれた思いがして瞬間たじろぐ。応えられない僕を気に留めることなく、男は静かに続けた。

「そうかも知れないな。君が、あるいは僕がそのことをどう思ったって」

それだけ言うと男は振り向き、僕と反対の方向へのそのそと歩いて行った。人混みをかき分け紛れ、やがて彼の姿は見えなくなった。

「……何なんだよ……」

冷や汗を拭きため息をつく。まさしく寿命が縮まる思いだった。見たこともないやつに、見たこともないことを見透かされていたのだ。しかもまるで、見たこともないのが僕だけのように。

「……カラカラだ」

喉に渇きをおぼえ、自動販売機へ向かう。

(……それにしても)

彼は一体何なのか。なぜ、僕以外の誰も気にかけないのか。彼が言っていたのはどういう意味なのか。

そのときホームに電車が滑り込み、響いたブレーキ音が悲鳴にすり変わった。直感的に人身事故だと判断して顔を向けるが、当事者を知っているような気がして顔を背けた。

そのとき目に入った、隣の女性が持っていた手鏡に映った僕の姿は、さっきの彼と寸分違わぬほど真っ黒に染まっていた。

Fin.

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