monologue : Same Old Story.

Same Old Story

静かな雨の中に

静かに降る雨は、私の心の内を代弁するようではあったが、私に侵襲し続ける何か別の生き物のようでもあった。音もなく静かに染み入るそれに、大切な何かを洗い流されないように堪えながら、やがて自分を通り過ぎるのを待ち続ける。記帳簿にさらさらと綴られる名前を見て、ふと私は孤独な闘いから引き戻された。

「あの、あなた」

確かそう、数ヶ月前にも同じ名前、同じ筆跡を目にしたはずだ。

「この度は」

その男はどこかに見覚えがあるような、しかし喪服姿のその男以外は目にしたことのないような、不思議な感覚を覚えさせた。今日この日のために誂えられた特別製の黒服のような、いや、私は数ヶ月前にも同じようなことを思ったのではないか。

「確か、弟の葬儀にも」
「ええ、確かそのときはお父様が喪主だったかと思いますが」
「……はい、そうです」
「半年も経たないうちに今度はお父様まで」
「何かの業、なんて」

思わず苦笑いをしてしまう。

数ヶ月前、弟が飲酒運転の挙句の事故で亡くなった。いつもはお酒なんてそれほど飲まないのに、学生時代の友人と数年振りに再会したため、の出来事らしい。そうして今度は、父が逝ってしまった。たまたま繁華街を歩いていたところで壮絶な喧嘩に出くわし、止めようとしてとばっちりを受けたのだとか。どちらも弟でなくても良かったし、父でなくても良かったような事故だと、私はやるせない気持ちでいた。

「何か、見えない糸が手繰り寄せたなんて」

こんなときにだけ運命を考える自分が、滑稽で仕方がない。

「お姉さん、気を落とさないで」

私の肩に手を差し伸べる男は、二十代半ばだった弟より若くも見えたし、けれど表情には父の一回り下の世代ほどの落ち着きが見て取れた。私が知らない弟と父の知人の年齢なんて、今の私には、本当にどうでも良いことだけれど。

「……ごめんなさい、ありがとう」

雨は静かに振り続ける。しとしと、と重なるそれに、私は突如として、何か胸騒ぎのようなものを覚えた。

「けれど業とは、お姉さん、よく言ったものです」
「そうでも思わないことには、こんなこと」
「そんな考えをしていては、あなたも引き込まれてしまいそうだ」

もういっそ、と頭を掠めた考えを振り払うように、男から目を逸らし記帳簿へ視線を落とす。そこへ綴られた筆の跡が、突如蚯蚓みみずのようにうねり始めるような、妙な感覚があった。

「もういっそ、だなんて、考えるのはお止しなさい」

はっと顔を上げると、すぐ目の前に男の顔があった。彼の瞳は、光の届かない冬の夜のような色をしているように思えた。

「あなたが気を持たないのなら、お母様もいない親戚もいない身ひとつでは、すぐにお二人と同じ道を辿ってしまうかも知れない」
「あの、失礼ですが」

母がとうにこの世を去っている、そのことを知っているこの男は一体誰なのだろう。弟にさえ父と母は別れたとしか伝えられていないのに、私たちの家庭の内情と弟の死と父の死を知るこの男は、一体?

「あなたは、一体」
「お母様とも懇意にさせていただきました。もっとも、病床での三ヶ月ほどですが」
「どうして、母の病のことを」
「私は」

ふっ、と、雨が途切れる。

「あなたのご家庭の担当とでもいいますか。自分の仕事振りを確認に来たのです。放火魔の野次馬根性とはまた、少し違うと自負してはいますが」
「担当、って」
「死神と呼ぶ方もありましょう」

そういって差し出された男の右の掌に、青白い小さな火の玉が三つ灯った。私が驚いてそれを凝視すると、男が左手の指を鳴らした。すると途切れていた雨が、また静かに辺りを埋め尽くし始めた。火の玉は、跡形もなく消えてしまった。

「次にお会いするのは、できればもう少し先の方にしたいものですが」
「あなたは、一体」
「そればかりは私にもわからないものです」

噛み殺したような笑いを呑み込んで、男は私をじっと見つめた。彼の瞳は、冬の寒い夜の、街灯の届かない木陰を思い起こさせた。

「ごきげんよう」

踵を返すと男は雨に紛れて立ち消えてしまったようだった。その後、葬儀場をいくら探しても男の姿は見当たらず、記帳された名前も住所も全くの出鱈目だった。私の他にその男のことを覚えている者もいなかった。

それから十五年経つが、幸い、その男には一度も遭っていない。

Fin.

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