monologue : Same Old Story.

Same Old Story

軌道修正

「限界だわ」
「待てよ」

不機嫌な様子で部屋を出て行こうとした女の肩を、男が掴んで引き止める。二人の間には重い沈黙ばかりが、横たわるように部屋いっぱいに充満していた。

「もう無理よ。もうどうにもならない」
「落ち着いて、話を聞いてくれよ」
「何度も、何度も聞いたわ。何度も思い直して、何とか持ち直してやってこれた。でももう無理よ。疲れちゃったもの、あなたと一緒に居続けることに」

決定的な台詞を突きつけられても、男は諦める素振りを見せなかった。

「そんなことないよ、この間だってそう言ったじゃないか。けれど僕らはやってこれた、そうだろう?」
「そうね、その前もその前も私は同じことを言ったわ。でも何も変わらなかったじゃない」
「少しずつ変わってる、君が気付いてないだけで」
「変わってないわよ、何も変わってない。結婚したら変わるとあなたは言ったけど、何も変わらなかった。子供ができたら変わるなんて言われたとしたって、もう続けるのは無理だもの」

女が、左手の薬指に手をかける。男は黙って、女の右手を掴む。

「……離してよ」
「離さないよ」

男の冷静な様子に女は気恥ずかしい思いでもあったのか、指輪を引き抜こうとするのをやめた。再び、二人の間に重い沈黙が横たわる。

「……また何とかやっていけるよ」

しばらくして男が口にしたのは、変わり映えのしない台詞で、女はため息をついた。

「……無理よ。もうこれが普通になっちゃって、私はそれが嫌なの」
「これが?」
「こうやって何度も何度も喧嘩して、一時ちょっと仲直りして、また喧嘩するの」
「そんなことないよ。またいつかの僕らに戻れる」

もう一度、深く強いため息。努力することの全てを放棄したような。

「無理よ、軌道修正なんてできっこないわ。もといた場所がわからないんだもの」
「なんだ、そんなこと」

男が部屋の収納棚に歩み寄り、奥の方から古い一冊の冊子を取り出す。

「……何これ」
「覚えてるだろ」

女はゆっくりと記憶の奥底を辿り辿って、ようやく表紙に並べられた文字列の意味を悟った。

「……文集」

二人が通っていた同じ中学の、年次が変わるときに皆で寄せ合って作ったものだった。卒業文集ではないから学校の名前が前面に入っておらず、思い出すのに時間がかかった。

「そうね、そういえばあなたとは中学からの付き合いで……これを思い出して、初心に返れってこと?」
「中、読んでみなよ」

古びたページをめくる。樟脳のような防虫剤の匂いがして、一瞬懐かしい気分になる。ページをめくりゆくうちに、女は自分が書いた作文に行き当たった。

「……これ」
「そう、それ。君の作文だろ。私は素敵なお嫁さんになって、童話のうさぎみたいに三人兄弟を」
「ちょっと、やめてよ」

照れ隠しのように睨み付ける女を気にかけず、男は朗読を続ける。文集を覗き込むこともなく、幼い日に読んだ文章を一字一句間違えることなく読み上げる。最初は照れもしていたが、誤字や脱字や文語表現も淡々と読み上げる男に、女はだんだんと薄気味が悪くなってきた。

「君の文章、凄く好きでね。最初にその文章を読んだときに思ったよ」
「……何よ」

無意識のうちに身構え、一歩後に下がる。男は屈託のない、子供のような笑みを浮かべている。

「君と結婚して、君の夢を叶えようってね。中学の頃からずっと夢だった。君が童話のうさぎみたいな三人兄弟を産んで、それぞれがまた三人子供を産んで、庭付きの家でのんびり暮らすんだよ。君の手料理で、デザートも食べるんだ。そうしたらきっと、君はとても幸せになれるし、僕もそうなれる。だから僕もそうしたいんだ。ほら、だからこんな喧嘩なんてしてる場合じゃないだろう、僕らは」

笑顔のまま差し伸べられる手をどうしたらいいのかわからずに、女は、男を真似てぎこちない笑いを浮かべた。

Fin.

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