monologue : Same Old Story.

Same Old Story

新しい世界

「泣かないで。そんなろくでもない男のために、涙の一粒も流してやる必要なんてない」

繁華街の一角にある、あまり規模が大きくなくそれほど高級でもないクラブ。室内の単調な薄暗さとは対照的に、集う女性たちのそれぞれにそれぞれの、素敵なことばかりではないけれども思い出や現在やこれからがある。それぞれが夢を持ったり事情を抱えたりして働いていて、支え合っている。店で私をいつも励ます先輩は、その日そんなことを言った。たちの悪い男に引っ掛かって何も見えなくなる後輩を諭すのは、初めてではないとも言った。

(……どうして、夢から醒めると忘れているんだろう。眠る前の感情がほとんど曖昧に)

何日前のことだったか、事実もはっきりとは思い出せない。ロッカールームでさめざめ泣いている私を励ましてくれた先輩の言葉。確かに、そう言ってはくれたと思うのだけれど。

(どうして、曖昧に忘れてしまうんだろう)

たちの悪い男に引っ掛かったことは、もうどうでも良くなっていた。私の中にそれほどの痕を残さなかった。仕事へ出向くために準備を始める。何気なく習慣で付けておくテレビから、近所で起きた交通事故が報道される。一瞬目に映った事故現場中継には、飛び散ったガラスの破片と折れた電柱の映像。

『……車に乗っていた二人は病院へ運ばれましたが、間もなく死亡が確認され……』

私はこのニュースを数時間前に知った。眠りに落ちる前、同僚から届いたメール。世間が私と同じ事実を受け止めるのを、目の前の小さなテレビで確認する。助手席に乗っていた女性は、私を励ましてくれた先輩だった。

(一緒に死ねるなんて、そんなに素敵な相手だったのかしら)

事故の原因はまだわからない。もしかすると、運転中に痴話喧嘩でもして脇見運転になったのかも知れない。それでも私は、それがなぜか心中のように思えて、美しいことのようにさえ思えた。

『……警察では事故状況の検分と合わせて、目撃者の情報提供を募っています。次のニュースです……』

彼女を亡くした私はどうなるだろうか。世間はこの話題を、私と同じ重さで受け止めはしないだろう。テレビから流れるよくあるニュースの、よくある被害者女性でしかないのだ。あのクラブに集まる客が、店の薄暗さを覚えても働く女の過去の色を覚えないように。

「泣かないで。そんなろくでもない男のために」

彼女の言葉を思い出す。彼女を亡くした私はどうなるだろうか。何とかやってはいけるだろう、いつまでかはともかく。世界なんて不安定なものだ、どんな大切なものだってすぐに立ち消える。彼女はもういない。

「行ってきます」

彼女はもういない。こんなろくでもない世界のために流してやる涙なんて一粒もない。今日のこれで、最後にできれば。そう願いながら、誰もいない部屋を出て、仕事に向かう。

Fin.

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