monologue : Same Old Story.

Same Old Story

願いを叶えて

「ああ、ああ、こんなところに」

薄汚れた格好のおそらく浮浪者を呼び止めた男は、それとは対照的によくあつらえられたスーツに身を包み、艶立って黒光りする革の靴を鳴らして、きっちりと等間隔の歩幅で歩み寄った。黒ぶちの眼鏡を携えた顔立ちは、よく手入れされた彫刻を思わせるようだった。

「……おれに何か?」

そんな男に呼び止められた浮浪者は、まさか自分とこの男が生きているうちに接点など持たないだろうにと、疑惑と侮蔑に似た眼差しを返す。

「そう、あなた。あなたなんですよ」
「……だから何だ。俺に何か用か」

苛立っているのか元からそんな口調なのか、好戦的ともとれる返答を投げる。

「私が探していたのはあなたなんです。尽くすに値する相手を、ずっと探していたんです」
「……何だと?」

恍惚と静かな歓喜を浮かべた男の顔を、今度は困惑の視線でくまなく見やる。

「いや、突然すみません。私は何というか、一種の使命感に駆られていて、ずっと探していたんです。私の持っている財力や人脈を、あなたのような人に捧げることがひとつの喜びなんです」
「……頭がおかしいのか?」
「そう思われることもあるかも知れません、それでも仕方がないのです。湧き上がる衝動といいますか。あなたのような方の、願い事を叶えたいのです」

浮浪者は過去にも偽善のような施しを提案されたことがあったのを思い出し、鼻で笑って要求を述べた。どこか傲慢なその口調は、彼の普段の様子を取り戻したかのようだった。

「なんだ、簡単なことじゃねえか。だったら今すぐ、おれのために温かい食事と凍えない寝床を用意しろ」
「もちろん、もちろん。まずはそうでしょう」

男が懐から携帯電話を取り出し、どこかへ連絡をとる。五分と待たずに黒塗りの豪勢な外車が男のもとへ到着し、迷うことなく浮浪者と男を招き入れた。

「……おい、人攫いじゃねえだろうな」

自分に攫われてどれほど困ることがあるのかと、浮浪者は少し自嘲気味にもなったが、車に乗らずにありつけない飯があっては面白くない、と思い直し、素直に男に従った。車はしばらく走った後、大きなホテルの貴賓用玄関の前へたどり着いた。

「……どういうこった」

浮浪者はここでも何の躊躇もなく歓迎され、煌びやかな客間へ通され、これまでに味わったことのないような食事を十分に振る舞われた。その後促されるままに客室へ案内され、ぼろぼろだった衣服からぴったりの寸法の着物へと着替え、ふかふかのベッドへと案内された。

「……どうなってやがる」
「もちろん、あなたが望んだとおりにしています。何か不足がありましたか」
「いや、そうじゃない、どういう……何を企んでる」
「企みなんてとんでもない。先ほども話したように、私は決めたのです。あなたの望むようにしようと」

薄気味の悪さが脂汗を誘うが、浮浪者に身を落とす前にも味わったことのない贅沢な食事に、どれくらい振りかも思い出せないほどきちんとした服、居心地のいい部屋。飛び出して逃げ帰りたい衝動もあるが、これらを手放してしまうことは、命を落とすよりも勿体ないことのように思われた。しばらく黙り込んで浮浪者は、なんとか声をひねり出すようにして半ば叫ぶ。

「……だったら次はこうだ。最高級の風呂と最高級の酒と、女と、余興を持ってこい。それをずっとずっと、おれが飽きるまでだ。おれが飽きるまで、この部屋に住まわせて養い続けろ」
「もちろん、もちろん」

男は何の躊躇いもなく間をおかず、浮浪者の提案をあっさりと受け入れた。拍子抜けして肩を落とす浮浪者の目には、男の黒ぶち眼鏡の奥はよく見えず、薄気味の悪さは既に得体の知れない恐怖へと変わっていた。次には、懇願するように泣き言を投げた。

「なあ、おい、何が目的なんだ。教えてくれ」
「目的なんて、これがそうです。私が最初に話した通り、そのように続けているのです。あなたの願い事を叶えようと」
「何か見返りを欲しがってるんだろう。おれをどうしようってんだ」
「どうもありませんよ、求めるのなら与え続けるということなんです」

精一杯の威勢をみせようと、浮浪者は鋭い目付きで、なんとか魂胆を見抜こうと男を見据えながら言った。

「……わかってるんだ、そうして油断させておいて、最後はおれをひどいめに合わせようというんだろう。お前が悪魔か好事家かは知らないが、最後はおれをめいっぱい苦しませて、こんなことならお前の提案になんて乗らなければよかったとまで思わせたいんだろう……命まで取るかどうかは知らないが」

最後の最後に震えた浮浪者の見通しを聞き、見えない眼鏡の奥で微笑を浮かべながら、男が応える。

「ええ、わかりました。あなたがそう望むなら、その結末を用意しましょう」
「……なんだって?」

再び拍子抜けして肩を落とした浮浪者は、自分の疑惑が自分の結末を決定づけたらしいことに気が付き、さっと顔から血の気が引いていった。

「……お前は、本当に何者なんだ」
「その次にはそれが望みということですね。わかりました、先ほどの結末の最後に、私が何者かをお知らせすることにしましょう……ともかく、まずは風呂、酒、女と余興を用意させましょう。あなたが飽きるまではそのようにすると、それがあなたの望みなのですから」

すっかり血色をなくした浮浪者を部屋に残し、諸々の手配をするために男は部屋を後にした。

「どうぞ、ごゆっくり」

この生活に飽くことは、死に近い結末を意味する。浮浪者は、後悔とも絶望とも取れぬ、とにかく苦悶の表情を浮かべて立ちつくすよりほかなかった。

Fin.

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