Project K
胸いっぱいの花束を
- Flowers
- http://www.junkwork.net/stories/k/001
いつもと同じ朝が私を待っている。あくびをひとつすると、私はベッドをおりた。窓に近付き、勢いよくカーテンを開ける。近付くと言っても、三歩も歩くほど私の部屋は広くない。
「……今日もいい天気だわ」
窓から町を見下ろす。四階にしては見晴らしの悪い部屋だ。狭い道と、薄暗い向かいのアパートが見えるくらいの。
「そろそろね」
時計に気付いてつぶやいた。玄関のベルが鳴る。
「今行くわ、待ってて。ジミーなんでしょう?」
ドアを開けた私を待っていたのは、予想通りの少年だった。アパートの管理人のお孫さんだ。
「あの、これ……」
「あら、いつも通りなのね。ありがとう」
ジミーは毎週末、私のところに花を持ってくる。遠い地に赴任してしまった私の恋人から、毎週末に花が届くのだ。私は週末に部屋を空けることが多いので、恋人が管理人宛に送ることにしたのだという。ジミーはまだ十歳なのにしっかりした子だ。
「それじゃ、僕は帰ります」
「今日もお茶は呼ばれてくれないのかしら?」
「あ、学校あるので……」
「たまにはサボってもバレないわよ」
私の悪い誘いも、彼はことごとく断ってきた。私も、フラれるのを承知で誘う。そして、今朝もいつも通りフラれた。
「いい加減年かしらね」
彼から花を受け取って部屋に引っ込む。ジミーが帰ってから、私が次にやることも決まっている。恋人からの手紙の開封作業。
「また季節感のない話だわね」
誰にともなくつぶやく。あの人の手紙はいつもそんな調子だった。
「年がら年中暖かいところだから、かしら?」
私も彼に手紙を書くが、それに関しての返事が来ることもまずない。そういうところも彼らしいとは言えるが。
“親愛なるミランダへ
君の調子が悪くないことを祈りながら眠りにつく毎日だ。僕の仕事の調子はいつも通りだよ。いつも通り。機材のトラブルも少ない方だから、今回の仕事は恵まれているのかもね。
P.S. 返事を書いてくれているのだったら申し訳ない。今いるところは手紙が届きにくいんだ。”
彼からの手紙はいつもこんな感じだ。戦争ジャーナリストなんて、随分危険な職業にも思えるのだが。当たり障りがないと言うか、平凡と言うか、どれもが平坦だった。
そのことに意味があるなんて、私は思いもしなかったのだが。
そして迎えた、ある週末の朝。一週間をモヤの中で過ごしたような、珍しくさっぱりしない朝。彼が向こうへ行ってから、ちょうど一年が経つ週末だった。
いつも通り町を見下ろした私に、玄関のベルが鳴った。
「……ジミーね?」
「おはようございます」
彼にしては珍しく、開口一番に挨拶をした。いつもうつむいてオドオドしたような彼が、今日は真っ直ぐ私を見つめていた。
「いらっしゃい。……今日はなにか?」
「僕、ミランダに言わなきゃいけないことがあるんだ」
わかってるわ、と私は言わなかった。ただ、ドアの前から立ち退いて、彼を部屋に招きいれた。彼は初めて学校をサボった。
「話ってのはなにかしら? あまり良くないこと?」
ジミーは黙ってうつむいていた。叱られる前にもこんな顔をするのだろうか。
「……僕、嘘をついてました」
「一から話してちょうだい」
彼の話はこうだった。
毎週末、私に届ける花は、ジミーが買ってきていたこと。私の恋人が出発する前に、彼にいくつか頼まれごとをしたこと。五十通あまりの、前後に脈絡のない手紙を受け取って、その中から無作為に一通選んで花と一緒に持ってきたこと。彼にもらった花のお金が尽きて、手紙も尽きて、今日打ち明けることにしたこと。
私は、何も知らないふりで聞いていた。
話が終わると、彼は二回頭を下げた。少しだけ涙目になって部屋を出て行った。
彼の、最後の手紙を置いて。
“親愛なるミランダへ
今日は君に謝らなくちゃいけない。君と、ジミーに。
手紙を書いたのは僕だ。でも、花は僕が送るものじゃない。きっと、もう僕はこの世にはいないだろう。今回の取材には命の危険がある。かなり強烈な、ね。だから、……いや、だからと言うのも言い訳だな。君の生活からゆっくり消えたかったけれど、その方法を考える時間もない。せめて、僕がいないことに慣れてからこのことを知って欲しい。
君がこの手紙を見ることがあるなら、きっと僕はもういない。理由なんて思い当たるフシがありすぎて、限定できないんだ。君を幸せにできなくてすまない。別れのセリフも言えない。とにかく、今思いつくことを全て書き記そうと思ったんだが……ひとつしか思い浮かばなかった。
愛してるよ、ミランダ。”
彼の手紙を握りしめて、私は窓際に立って町を見下ろした。ちょうどジミーが走っていくところだった。気まずい思いがあったのか、彼は一度も振り返らなかった。
予感は、あった。
先週の週末、私はいつもより少しだけ早く目が覚めた。ほんの少し、本当にほんの少しだ。そして、いつもよりほんの少しだけ早く町を見下ろした。そしてそこで、ジミーが花屋と何やら話し込んでいるのを見かけた。私は、恋人から送られてきたはずの花束が、ジミーが受け取った花束と同じでないことを祈っていた。
神様なんて信じてはいなかったが、これからも信じることはないと確信した。私の願いはどれも聞き入れられなかった。
走っていくジミー。走り去った恋人。私は涙目で、一体何を見つめていたのか。
今でも私は、朝一番に町を見下ろす。相変わらずの眺めだし、相変わらずの生活だ。少しだけ嬉しいのは、ジミーがたまに学校をサボるようになったこと。(これは、彼の祖父である管理人には内緒だけれど。)
いつか世界中が平和になったとき、私は彼の最期の仕事現場に行きたいと思う。彼が頼み、ジミーが運んだ何倍かの花を持って。そう、いつか世界中が平和になったときに。
この胸いっぱいの花束を。
Fin.