monologue : Project K.

Project K

死なない薬

ベレッタ 92F。世界で最も有名な拳銃のひとつで、だからこそ最も足のつきにくい凶器のひとつでもあるのだろう。そいつが僕と向かい合って、今にも襲い掛かってきそうな様子だった。

「なあ先生、犯人はあんたなんだろう?」
「さっぱり身に覚えがないんだがね。そもそも君は誰なんだい?」
「俺が誰でもあんたには関係のないことだ」

五分ほど前、僕の研究所に押しかけてきた男がこう言った。あんたが持ち出した資料と試作品とを返して、そのことについて見たこと聞いたことを全部忘れれば、きっと命だけは助かることになるぜ。そして僕に銃口を向けた。

「まず、資料と試作品ってのが何なのか教えてくれないことには」
「とぼけるなよ、あんたが持ち逃げしたって噂のあれだ」
「持ち逃げ? 何をだい? 何の資料を?」
「クライン博士の下で何年も研究してきたろう。その資料と試作品だ」

やっぱり D 国の連中か、と僕はひそかに舌打ちをした。やつら、まだあの研究に執着していたんだな。

「確かに僕はクライン博士の下で研究をしたが、それこそ星の数ほど」
「おっと、はぐらかそうったってそうはいかないぜ」

男は、僕のすぐ目の前に銃口を近づけて言った。

「俺は、何の資料なのかすら聞かされてない。それだけやばい代物だってことだろうな。あんたに、本当に心当たりがないのなら申し訳ないが、身に覚えがあるなら何のことかわかってるはずだ」
「身に覚えがなくても大抵予想はつくよ」

男は軽く鼻で笑い、僕を見下すような目つきで言った。

「あんたは薬理学の権威だって聞いてる。化学の博士号を持ってることだって有名だ。おおかた、細菌兵器だか生物兵器だか、そうでなけりゃ癌の特効薬でも作ったんだろ?」
「さあ、どうだかね」
「強情にならないで渡しちまいな。クライン博士の知的財産は、あんたの手元に残ってていいことにはならないんだよ」

右手の銃を僕の視界から消したり、ふいに目の前で左右に振って見せたり、この男はよほど自分の射撃の腕に自信があるらしかった。あるいはよほど臆病で、僕の思いがけない逆襲におびえているのか。

「そういえば確かに、言われてみれば」

少しからかってみたくなって、僕はうつむき加減に話し始めた。

「研究はほとんど博士が進めていたし、彼が亡くなったからと言って、僕が持ち出していいような代物でもなかっただろうな」
「そうだろうそうだろう。だから早いとこ出しちまいな」

薄汚い笑みを浮かべて男は言う。

「そうだな。あれは僕の手には余る代物だ。だから、全部燃やしちまったよ」
「そうだ、だから全部……何? 何だと?」
「燃やしたんだよ。燃・や・し・た。全部灰にしちまったよ」
「……ってめぇ……っ!」

男は真っ赤になって僕に銃口を向けた。

「D 国の首脳連中もとうとうボケちまったのかい、脅しにこんな安っぽいチンピラ崩れをよこすなんてさ」
「何だとこのやろうっ! 状況がわかってねぇみたいだな!」
「わかってないのはそっちさ。資料もないうえ、僕まで殺したらお前はどうなる?」
「……資料がなけりゃ、あんたは口封じに殺される運命だったのさ」

何かがはぜたような音をたてて、僕の腹のどこかを、熱いものが突き抜けていったようだった。すぐにそれはどろりとした感覚になり、下腹部に嫌な生暖かさが広がった。

「へっ! ざまぁみやがれ! 明日の三面でも賑わしてな!」

僕は遠のく意識の中で、男の捨て台詞と逃げる足音を聞いた。

次に気がついたのは、男が去って約三十分が経過した頃だった。僕は腹を撃たれて、それを抱えるように倒れこんで意識を失っていた。

「五分五分の実験だったけど、ちゃんと撃たれたな……」

弾は貫通しているようだった。腹部を触ってみると、しっかりと穴が開いている。

「つつっ……ともかく、これで博士の研究の証明ができるな」

尊い人体実験のおかげだ。もちろん、僕自身が実験台なわけだが。

博士の研究というのは、要人用の仮死擬態薬というものだった。要するに、誰にも見分けのつかないような死んだふりをする薬の開発だ。一定以上の刺激を受けた瞬間に脳が神経系統をすべてシャットアウト、体は独立して細胞分裂と修復活動をフル回転で行う。そしてある程度体が回復した頃に、神経系統が元のように回復する。結果、誰の目にも(医師にも)死んだと映った人間が、数十分後に蘇る。出血も損傷もきれいさっぱり消えてなくなる。どんな酷い傷を受けたとしても、血は止まり、傷口はふさがるのだ。もちろんその間に救命措置をとればなおいい。どんな重傷でも、助かる確率が 30 %を越えるという代物だ。

「暗殺者が要人を射撃したとする。彼らが一発命中させて浮かれている間に、医師が処置をするのだよ。追撃の手も緩むし、助かる確率も上がる」

クライン博士はそう言った。彼の理論と信念の下に数人の研究者が集まり、この薬を開発しはじめた。ところが、博士は完成目前に突然亡くなり、プロジェクトは解散し、研究資料だけが僕の手元に残った。そしてさっきの男が現れた。

「博士、これで完成です。僕が身をもって証明するんです」

僕は早速パソコンに向かって、一通のメールを書き始めた。長年の間 D 国と対立関係にある E 国になら、きっと天地がひっくり返るような値段で売れることだろう。博士も僕も、今世紀最大の化学者の一人として歴史に名を残すのだ。

「僕は、ある化学研究者……この度は、貴国に提供したい薬品が……」

僕はなかなか出血の止まらない腹部を押さえながら、そういえば、博士の理論は本当に完全だったのだろうかと、ふとそんなことを考えた。

Fin.

Information

Copyright © 2001-2014 Isomura, All rights reserved.