Project K
遠い日の約束
- Forgotten Promise
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「ねえ、ここまで来れば思い出すでしょう?」
「えっと……さあ?」
僕の数メートル先を歩いていた彼女が振り返り、あからさまに不機嫌な顔をしてみせた。眉間と口元に、彼女のいらだちの度合いが現れている。
「もう、本当に何も思い出せないの?」
「ん、ごめん、何ていうか……」
彼女の細い目が、無言で僕を責め立てる。
僕らが中学三年生だった十六年前、当時同級生だった僕と彼女はお互いにとって重大な秘密を共有した。僕ら二人の人生を決定付けてしまうような、とてもとても大きなできごと。僕と彼女の、二人だけの秘密。
……という話を、一昨日の夜、十六年ぶりに電話をかけてきた彼女に聞かされた。僕らは別々の高校に進学し、それ以来ずっと連絡すらとっていなかったものだから、突然少女漫画めいたことを聞かされた僕は、正直肝を冷やすばかりだった。
「忘れっぽいんだから、長田くん、中学のときからそうでしょ?」
彼女は少しだけ柔らかい表情になり、歩く速度を気持ち速めた。昔ながらの下町をまっすぐに伸びる道を歩いていくと、やがて小さな丘に突き当たる。朝日ヶ丘とか無難な名前の丘だったと思うけれど、近所の若者にはもっぱら別称の方が通りが良い。
(まさか、重大な秘密って……まさかね)
案の定、案内役の彼女はその丘に登り、僕もその後をついていく。十数本の常緑樹が植えられた見晴らしの悪い頂上に立つと、彼女は振り返って、少しだけ笑みを浮かべながら言う。
「この丘の名前、覚えてる?」
「……恋人が丘、だろ」
地元の高校生や大学生や、少しませた中学生の間では知らないやつはいなかった。この丘にある雑木林の中で告白をするとその恋は実って、しかも一生離れずにいられるくらい結びつきは強くなるのだとか。よくある話だ。
「あの、さ、岡野さん」
僕が忘れた重大な秘密。もしかして、僕は彼女に告白でもしていたのだろうか?
「まさかとは思うんだけど」
彼女は全然僕の好みのタイプじゃないし、そんな一大決心を僕自身が忘れるはずがない。それに中学を卒業してから彼女とは一度も顔を合わせていないのだし、もし、万が一、何かのはずみで僕が彼女に告白をしていたとして、付き合いもしなかった僕を今ここに呼び出す理由がわからない。
「僕、君に何か言ったっけ? この場所で?」
途端に彼女の顔から笑みが消え、寂しさを絵に描いたような表情に変わる。僕はあわてて取り繕う言葉を探す。
「十六年も前だもんね。覚えてないよね」
「その、ごめん。もっと物覚えが良かったら良かったんだけど」
おかしな言葉で言い訳をしながら、彼女の表情を盗み見るように目をやる。
「本当に、覚えてないんだよね」
「……?」
寂しさと悲しさを一緒にしたような、彼女のその表情に見覚えがあるような気がした。いつだったか僕は、この表情に見つめられたことがある。
「……長田くん、私に言ったのよ」
「僕が、君に? 何て?」
「『心配しないで、僕が守るから』って、あの日、言ったのよ」
言葉に聞き覚えがあるのか、妙に耳に引っかかるような感触がある。
「もう十六年だから、私たち誰にも責められないのよ。二人の秘密はもう何も縛り付けないけれど、事実はまだここに残っているし、私たちはそれを受け止めるべきだわ」
「……何の話をしてる?」
彼女の言葉が、頭の奥の方へ響く。突然軽いめまいに襲われ、僕は木にもたれかかって身体を支える。
「忘れられなかったのよ、あなたの身体も。ここへ来て、気分が悪いんでしょう?」
「……何の話をしてるんだ」
「頭が、封印しただけ。事実はここに残ってるもの」
彼女が自分の足元を指差す。脇の下を冷たい汗が流れる。
「あの日、呼び出したのは私よ。ここへ、あなたを」
「……そうだ、僕は君に呼び出されてここへ」
記憶が順番に、僕の意識へ語りかける。頭が封印していた事実を。
「でもあなたが来る前に彼が来たのよ。陰気で衝動的で、誰からも好かれない彼」
「……倉木のやつだ。あいつが君をつけて、誰もいないここで、君に」
「彼、私のことをずっと狙ってたの。そんなことをわめいてたわ」
呼び出された丘の頂上へ僕が着くと、そこには彼女と倉木がいた。彼女に、あいつが馬乗りになっていた。あいつが僕に気付く前に僕は状況を理解して、全力を込めた体当たりを食らわせて、彼女を助けようとした。
「少し、運が悪かったのよ。あなたは間違ってない」
倉木は勢いよく弾き飛ばされて、地面か木の幹か、どこかに勢いよく頭をぶつけた。彼女を抱き起こして気付いたときには、もうその顔に血の気はなかった。
「私を守るためだったものね。間違ってなんかなかった」
次に気が付いたときには辺りはすっかり暗くなっていて、目の前にあるのは何かを埋めた穴の跡と、その穴を掘るために使ったらしい木の枝、土まみれの僕の手。自分が何をしたのか、誰に聞かなくてもすぐにわかった。
「彼、私生児だったみたいね。母親はしばらくしてこの町から引っ越していって、誰も彼のことを話題にしなくなった。それだけで、誰もが忘れていった」
引き裂かれた服で、胸をはだけたまま泣きじゃくる彼女を、僕は力いっぱい抱き寄せた。そうするしかなかった。
「そのとき、あなたは言ってくれたの」
そのとき、僕は言った。
「心配しないで、僕が守るから」
「そう。もう十六年だから、私たち、誰にも責められないわ」
どうしてこんな重大なことを忘れていたのだろう。いや、重大なことだからこそ、頭がどこか遠くの方へ追いやったのかも知れない。十六年前の約束と一緒に、記憶の奥の奥の方へ。
微笑む彼女の足元は、確かに十六年前、僕が穴を掘った場所だ。
「二人の秘密はもう何も縛り付けないけれど」
彼女が僕を見て笑う。十六年前の面影が残る、彼女の笑顔。
" 心配しないで、僕が守るから "
頭の奥に、十六年前の声が響く。
Fin.