Project K
最上階の部屋
- # 13
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「なあ、ここの十三階の噂、知ってる?」
時計の針は午前一時半を指している。そろそろアルコールも抜けるだろうかという頃に、誰からともなくそんな話題が放り投げられて、僕ら、十数人のうちのほとんどはそれに熱を上げ始めた。
「十三階って、機械室とかじゃなかったっけ?」
「それが違うんだよ、違うっていうか、そういう噂なんだけど」
サークルの打ち上げに集まった学生寮は歴史が古く、またその歴史の割には規模も大きく、地上十三階地下一階、無骨な鉄筋コンクリートの塊は、この手の怪談話の種としてはそれなりのものだった。実際、夏の暑い時期になると近所の中高生が周りをうろうろしていたりもする。
「この間 OB から聞いたんだけど……この話をしてから十三階の機械室に行くと、どうもおかしなことが起こるんだってさ」
よくある語り口で始まった物語は、だいたい次のようなものだった。
昔、この寮から大学に通っていたある女生徒が、学業上の行き詰まりから精神的な異常をきたして、寮の自室に閉じ篭もるようになった。数ヶ月登校せずにいる彼女に対して大学側が単位不認定の通知を保護者宛てに出し、心配した両親がこの寮へ彼女を尋ねて来た。そこで両親が見たのは、壁が真っ白に塗り潰された部屋の真ん中で、真っ黒なゴミ袋の中にうずくまって絶命していた彼女の姿だった。
「誰から聞いたんだよそんな話」
「だから OB から聞いたんだって」
「その OB はどこから聞いたんだよ」
「大方噂が巡り巡って、尾ひれいっぱい付いてるんだろ」
ありがちな否定と無根拠な肯定が何度か繰り返され、そのうち誰からともなくまた次の疑問が投げ掛けられる。僕は少しだけ興味深く、部屋に集まった十数人のやり取りを眺めていた。
「その話の後に、その部屋が機械室に改築されたってわけ?」
「まあそういうことになるよな」
「でもさ、機械室って壁から配管なんか剥き出しになってるんじゃなかった? わざわざ一般の部屋を改築して機材持ち込むようなことするかなあ」
「情緒のないこと言うんじゃないよ」
真っ当な意見を茶化す話し手に、誰からともなく笑いが起こる。
「で、その話の続きは?」
「続き? 続きなんてあるのか?」
「いやだから、その話の後に十三階の機械室に行くと、っていう」
「ああ、それそれ」
何度か巡った後、話がスタート地点に引き戻される。
「この話を聞いた後に、十三人が揃って十三階へ行くと、その当時のその部屋にワープして "彼女" に会えるらしいぜ」
また、誰ともなく笑い出す。
「じゃ今から試してみるか? 四、五、六……十三人はいるだろ。一人二人ここで留守番したって、十分な人数がいる」
「ああ行ってやるよ、こんな歳で肝試しにビビることもない」
話し手も聞き手も半ばむきになって、肝試しが強行採決される。僕も無理やりそのメンバーの中へ押し込まれ、十三人で揃って十三階行きのエレベーターに乗ることになった。
「しかし何があってそんなことになったか知らないけど、人生の一番楽しい時期に死んじまうとは災難な話だよな。しかも後々、酔っ払った学生連中に話の種にされて肝試しまでされる、なんてな」
エレベーターを待つ間、またもや否定派と肯定派のやり取りが激化する。僕はお互いを適当になだめはしながら、その "彼女" の話を頭の中で復唱していた。
「まあ落ち着けよ、何にしても行くことが決まったんだから、行ってみればいいじゃん。何もなかったら何もなかった、何かあったらまた後日肝試しのネタにでもすればいいさ」
まだアルコールが抜け切らないから小さなことも気になるのか、少しぴりぴりした険悪な雰囲気が訪れる。やがてエレベーターが僕らのいる三階に到着する。十五人が定員のエレベーターにどやどやと乗り込み、目的の十三階のボタンを押す。
エレベーターの中は驚くほど静かな空間で、じれったくなるほどに一階ごとの移動に時間がかかる。
「……ん?」
六階でエレベーターが一度停止し、扉を開ける。しかしその外には、誰もそれを待っている様子の者はいなかった。
「誰か、間違えて六階押したか?」
誰も何も言わない。六階のボタンが押されていたことは誰も記憶しておらず、"6" のランプが点灯していたことも覚えてはいない。
「……まあいいか」
扉が閉じ、また静かに、ゆっくりと動き出す。そして、七階で停止して、扉を開ける。またそこには、誰もいない。
「なんだよ、これ」
誰かがぼそりとつぶやく。
「今のうちにこんなことやめて帰れ、なんて警告だったりして」
「ははは……笑えねえよ」
何となく、嫌な汗が流れる。誰もが少しずつ蒼ざめている。
「……帰るのも薄気味悪いしな。十三階まで行って、何もないことをしっかり確かめて帰ろうぜ」
扉が閉まる。
エレベーターは、誰もいない各階に停止した。八階、九階、十階……もう誰も笑い飛ばせる余裕のある者はいなくて、ただ知らない誰かが僕らをからかっている、なんていう有り得ないような可能性に必死ですがりつく思いだった。
「だって、大学生って人生で一番楽しい時期だよな。絶頂期だよ。そんなタイミングで死んじゃって、後々その絶頂期の連中の酒の肴なんかにされちゃ、何か仕返し、したくもなるよ。これ、警告なんじゃないかな」
誰かがそうつぶやいたけれど、もう誰も何も答えなかった。どちらにしろ十三階まで行って確認しないことには今日も明日も眠られそうにない、という思いは誰もが持っていただろうけれど。
エレベーターは十二階で停止し、そのまま一分ほど――僕らには実に十分にも十五分にも思えたのだけれど――そこに留まった。誰も何も言わず、直立不動で扉の外を見つめている。やがて扉が閉まりかけたとき、十二階までのどこかでこの小さな箱を飛び出さなかったことを後悔してか、誰かが「ああ」とだけ、小さく溜息をついた。
また静かに、ゆっくりと、時間をかけてエレベーターは上昇した。そして、目的の十三階に到着し、ゆっくりと、ゆっくりと、扉を開いた。
「……何だよこれ」
扉の外は古びた廊下と、その奥に機械室への入り口がある、はずだった。けれどそこにはその見覚えのある景色はなくて、話に聞いた世界が広がり、僕らは全員硬直させられていた。真っ白な、五メートル四方の部屋。
「何だよ、何だ」
部屋の真ん中に、何か黒いものがある。薄暗い室内照明の照り返しで、少し艶のある質感と、でこぼこした表面だけが薄気味悪い印象と、感じたくない直感を与えている。
「……来るんじゃなかった」
誰かがそうつぶやいた瞬間、その黒いものが、ぴくり、と動いた。
「うわっ……嫌だ! 助けてくれ!」
「逃げるんだ! 逃げよう!」
数人がパニックを起こし出口を探すが、この部屋にはエレベーター以外に外と繋がるらしき扉が見当たらない。慌てて全員が小さな箱の壁に張り付き、"閉" と書かれたボタンを何度も押す。しかし、扉はいつまで経っても閉まる気配を見せない。
「やめてくれよ!」
黒い何かがもぞもぞと動き、少し縦に伸びて、まるで何かが立ち上がるように……。
「うわっ、うわああ!」
叫び声とともにその黒い何かが直立し……中から、よく知った顔が現れた。打ち上げ会場にいたサークルのメンバーの一人だ。
「お、その表情を見ると、大成功?」
あっけらかんとした彼と、引きつった表情を浮かべる大勢の前で、僕と、最初に話を始めた二人が種明かしをする。
「大成功だね。どうもお疲れ様でした。仕掛け人は僕らと彼と、地下管理室でエレベーターを動かしてた四人でした!」
「……は?」
戦慄の表情が緩み、安堵の溜息と、してやられたという表情と、僕らを責める罵倒で溢れかえる。中にはうっすらと涙を浮かべた表情も見える。
「さっきの噂話は本当だけど、その後の話は作り話。話し手が煽って、君らは気付かなかったかも知れないけれど、僕がそれとなく肝試しに向かうように仕向けて、地下管理室が各階でエレベーターを停めるように操作して、ここで待機してた彼が最後の大トリ、っていうわけ」
「……え、でもここ、機械室なのに、そうは見えないんだけど」
配管も突き出していない、平らで真っ白な壁を見ながら一人が言う。
「実はここ、屋上なんだよね」
手を伸ばし、エレベーターの行き先階ボタンの上に貼られたシールを剥がす。
「十三階のボタンを押したつもりで、屋上のボタンを押してたわけ。これは屋上に作られたベニヤ板の部屋なんだよ。急造の割には雰囲気出てるだろ?」
そういえばよく見れば、よくこんなこと考えたな、一本取られたよ、と、少しずつ余裕の出てきた彼らを見て、僕らは優越に浸る。この瞬間のために地道に仕込んだ甲斐があった、というものだ。
「さて、帰って残りの連中をもう少し驚かせてやろうか」
部屋で待機している連中を驚かせるネタも仕込んであるため、僕らはまたエレベーターに乗り込み、三階の行き先ボタンを押す。扉がゆっくり閉まり、静かに動き出し、そして今度は、本当の十三階で停止した。
「……何これ? まだ俺らを驚かす仕掛け?」
「あいつ、地下管理室で調子に乗ってるな」
僕は携帯電話を取り出し、エレベーター操作係に電話をかける……が、電波は繋がらず、無機質なメッセージだけが繰り返された。ゆっくりとエレベーターの扉が開く。
「……おい」
再び僕らを恐怖の表情が支配する。見覚えのある古い廊下も機械室の扉もなく、真っ白な壁が一面に広がって、その中心に、何か小さな黒い点がひとつ。それは少しだけ動き、スポンジが水を吸うようにじわじわと大きくなり、ちょうど人間くらいの大きさにまでなった。僕は、ただこれが誰か別の連中の仕掛けだと信じ、そう願うことしかできなかった。
Fin.