monologue : Project K.

Project K

忘れ得ぬ絆

突然背後からかけられた声の正体を掴みきれないまま、ゆっくりと振り向く。薄汚さの象徴のようなスラム居住区では、誰かに声をかける理由なんて二つか三つしかない。身包み全部置いて行け、か、あるいは……どうだっていいか。俺は、ため息をつきながら、ゆっくりと振り向いた。

「やっぱりだ。おい、お前、お前だよ」

歩道に半ば立ち尽くしていた精気のない男、つまり俺に声をかけたのは、背後から近寄る強盗なんかではなくて、路肩に寄せられた荘厳な黒塗りの高級車……の中の誰か、のようだった。そう、まるでマフィアの幹部か売れっ子のラッパーが移動に使っているような。

「こっちだよ、わかるか? クスリで飛んでるのか? 声は聞こえてる?」
「……ああ、俺だったら聞こえてるけど、あんたは」

確かに黒塗りの中から声は聞こえるが、誰かが降りてくる様子も、窓から顔を出す気配もない。車から降りた途端にごろつきに囲まれないように、か、それともこんなところへこんな車で乗り付けるくらいなら、もっと面倒な連中に命を狙われている、とか。

「あんたは誰なんだよ。どうして俺に話しかける?」

覇気のない、よれよれのシャツとジーンズと無精ひげと、いかにもこの場所に生まれて育ってきたような、そんな俺に話しかける、あんたは一体誰なんだ。

「声だけじゃわからないか。無理もないな」
「じゃあどうだっていうんだよ」
「姿を見せてもわかるかどうか、な」

その台詞のあと数秒、許可できません、うるさい、と、中の連中がやり取りするのが聞こえてきた。運転手か秘書かボディガードの制止を振り切ってか、最初に俺に声をかけたであろう当事者が、ゆっくりと、後部座席から姿を現した。上等なスーツを着こなした、肩幅の広い男だった。

「……あんたは?」
「わからないか、無理もない。十年もすれば姿格好は変わるからな」
「俺のことを知ってるのか?」
「知ってるも知ってる、何年も付き合いがあったからな、エド」

古いニックネームで俺を呼ぶと、その男はにいっと笑った。

「俺の名前……悪いが、あんたのことを思い出せない」
「ああ、多分そうだろうと思ったよ。そう言ったろう?」
「名乗れよ、用件があるんなら」

強気の台詞を吐いてはいたが、俺とその男とでは、身なりも体格も会話に対する余裕も、どれも明らかに雲泥の差だった。歩道に佇むみすぼらしい俺、高級車から現れた上等なスーツの男、華奢で小柄な俺、がっちりした体格の男、相手を思い出せない俺、俺を知っていることで笑っている男……。

「名乗れよ」

変わらず笑っている男に向けて、精一杯虚勢を張る。

「ベルグマンだよ、ミドルスクールまで一緒だったろう。"ゆっくりチャーリー" と言えば思い出すか?」
「……嘘だろ、おい」

ミドルスクール、もう二十年も昔の話だ。親が離婚だか再婚だかするのを契機に転居して、それから顔を合わせるどころか、名前も聞かなかった。チビでうすのろで、どこをとっても冴えない男だった。

「チャーリー、まさかこんな再会なんて、こんな街で。おい、二十年振りだろう」
「ああ、二十年振りだ。横顔が見えたから、つい声をかけた。今は何をしてるんだ?」
「何って、その……今? 今、ついさっきのことか?」
「違うよ、何をして飯を食ってるんだ、って話だ」

ああ、と言葉を濁して目を逸らす。自慢できるような仕事なんて、俺は持っていない。

「ああ……下っ端だ。ちょっとした、グループの」

麻薬組織の運び屋、見張り屋、雑用係。俺の現状は、この薄汚い街にぴったりだった。

「そうか」

チャーリーは大股で俺に歩み寄り、右手を差し出しながら言った。

「じゃあ、同業者ってわけだな」
「……え?」
「程度の差はあっても、だ。同じ界隈の人間ってことだな。ここに立ってるってことは、角のビルを見張ってるんだろう? 今からそこへ行って、お前のところのボスと商談を始めるところなんだよ」

笑みが、少し皮肉めいたものへ変わる。なすがまま差し出し返した俺の右手を引き込み、耳元へ口を寄せて、囁いた。

「お前にはよくいじめられたな。俺がお前の名前を出してお前のボスに無理難題をふっかけたら、お前にはどんなとばっちりが行くんだろうな? 今それを考えてみたら、どうにも笑いが止まらなくなって声をかけちまったんだ」

それだけまくしたてると、突き放すように俺から離れ、車に戻りながらまた言った。

「できればゆっくり話してもみたかったが、そういう間柄でもなかったな。お前にはろくな思い出がない。今晩からは思い出し笑いばかりになっちまうだろうが。まだ人生を長く続けたいと思ってるんなら、車が出る前に走ってこの街を出るんだな」

含み笑いを残して振り返り、また大股で歩くチャーリー。

「……さあ、どうだか」

絶対に聞こえないように、けれど絶対の自信を持ってつぶやく。嫌々ながらボスに与えられた見張りの仕事は、誰もが諦めていた功績を俺にもたらしてくれそうだった。チャールズ・ベルグマン。対抗組織の幹部で、めったに俺たちの前には姿を現さない。屈強なガードマンがいなけりゃスーパーにも出向かない、なんて噂の。

「顔見知りだったら油断すると思うか? 俺は思ってたね。俺の勝ちだ」

ポケットに忍ばせた拳銃に手を伸ばす。車までの距離、やつは無防備な背中を俺に向けている。ボディガードは車の中、飛び出したって絶対に間に合わない。俺は、確実にやつを撃ち殺す。

「思いもかけない再会だったら、気が緩むか? 復讐のチャンスに心が躍るか? だろうと思ったよ "ゆっくりチャーリー"、お前は根っからのうすのろなんだからな!」

二人を引き合わせたこの絆と、俺を覚えていた彼の記憶力と、しがみついた俺の根性に、今、祝砲をあげてやろう。

Fin.

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