Other Stories
長い長い手紙 : 8/12
- Operation
- http://www.junkwork.net/stories/other/00608
「もうずいぶん長いのよ、入院生活」
「彼女、なんの病気なんですか?」
「さあ、特発性なんとかって……心臓が悪いらしいのよ」
ご近所の噂じゃ聞きだせる情報なんて限られている。病院の名前がわかってるならそっちに向かうことにしよう。そう思い僕は、このおばさんに別れを告げることにした。
「中央……西区中央病院か」
通りに出てタクシーを拾う。停まったタクシーの車種と、天井の上に突き出た看板がさっきのタクシーと同じものだったので、一瞬運転手も同じかと思った。
が、実際はさっきの、蜂須賀という運転手よりだいぶ痩せた男だった。
「どちらまで?」
「中央病院まで」
この運転手はさっきの運転手と違い、無愛想を絵に描いたような男だった。病院につくまで終始無言で、彼から話しかけてくることはなかった。
「到着です」
「ありがとう。ああ、その……」
「なんでしょう?」
「君と同じ会社の、蜂須賀ってドライバーを知ってるかな?」
「ああ、あのミステリー好きの」
マニュアルの対応じゃなかったんだな、となぜか僕は胸をなでおろした。
「それが何か?」
「いやいいんだ。なんでもない」
この運転手もまたしばらく不思議そうな顔をしていたが、やがて仕事に戻っていった。仕事あがりにあの蜂須賀って運転手と、僕のことについて何か話し合ったりするだろうか? そのときの会話の内容を想像して、僕は一人ほくそ笑んだ。
「受け付け……」
中央病院はなかなかの広さで、少なくとも外観は名前負けしていなかった。最初に訪れる外来受け付けまでも結構な距離だが、病人やけが人にとっては厳しくないのだろうか。その受け付けには、少し小柄な看護婦さんがいた。
「あの」
「はい、面会でしょうか?」
「えぇ、まあそうなんですけども……心臓とか悪い場合はどこへ?」
「お名前をおっしゃっていただければこちらで照会します」
「あ、そうですか。本間千佳子っていうんですが」
僕が名前を告げると、彼女は分厚いファイルをめくりはじめた。
「本間千佳子さん……循環器系第二病棟ですね」
「循環器系、第二」
意味もなく彼女の後を追って繰り返す。言葉の意味は理解できていないが、暗記するときの条件反射みたいなものだ。
「そちらの角を曲がってすぐのエレベーターを五階に上がってください」
「あの、部屋の番号とかは」
「上がってすぐ循環器系第二事務室がございますのでそちらで」
「あ、ハイ、どうも」
きれいに敬語を使われるとこっちも腰が低くなってしまう。今度から部長に叱られるときはこの手でいこう、なんてくだらないことを思いついた。
「エレベーター……これか」
車椅子への配慮だろうか、かなり大型のエレベーターだ。その割に音は静かで、結構早く着いたような気もした。技術の進歩というやつだろうか。
「あ、あの」
確かに上がってすぐの場所に事務室が見えた。
「こちらに本間千佳子さんって……」
「ああ、本間さんなら今日の午後からオペの予定が……」
そう言うと、事務の看護婦は振り向いてホワイトボードに目をやった。彼女はなかなか大柄なので、僕の立ち位置からはホワイトボードは見えなかった。彼女の陰に隠れてしまうからだ。
「ええ、今日の午後に手術の予定がありますけど。面会なさいます?」
面会に来たのだから当然、と言おうとしたとき、廊下の向こうが騒がしくなった。
「……繰り上げて……第二…術室を……」
何だろう、と見つめる僕に、事務の看護婦が言う。
「あ、患者さんがここ通りますので、通路あけてくださいね」
「ああ、すいません。手術か何かで担架でも?」
「どうでしょう、予定はないんですけど……緊急かしら」
頼りなさげな雰囲気で彼女が言う。やがて廊下のはるか向こうから、車輪といくつかの足音が聞こえてきた。患者をのせた器具か何かが走ってくるのだと、医療に疎い人間でもわかる音だった。
「すいません、廊下あけてください」
先頭の医師が先導しながら言う。僕は壁にへばりついて、嵐が過ぎるのを待つような体勢になった。やがて、足音と車輪の音が近くなって、僕とすれ違った。
患者は僕と同じくらいの年の女性だった。顔色も悪く息苦しそうだったが、僕を見て目を見開いた。そして、少しだけ……ほんの少しだけ口を動かした。
彼女が何を言ったかは聞き取れなかったが、彼女の口の動きははっきり見えた。
「 サ エ キ ク ン 」
確かに彼女の口はそう動いた。嵐が過ぎ去って、とぼけたように事務の看護婦が言った。
「あ、今のが本間さんですね」
わかってる、とも言えずに、僕はただ立ち尽くすのみだった。