Other Stories
長い長い手紙 : 10/12
- ICU
- http://www.junkwork.net/stories/other/00610
僕は、何かの作動音で目を覚ました。気がつくとすっかり夕方で、窓のブラインドがオレンジ色を遮断していく最中だった。
「……ここは……! 僕は、どれくらい?」
壁にかかった時計を見ると、僕が時計を見た最後の記憶から八時間は経過していた。
「もう終わってるよな、さすがに」
いくら緊急手術でも、八時間も経てば終わってるんじゃないだろうか。医師だって人間だし、人間の集中力なんてそんなにもたないようにも思えた。
僕は階段をおとなしめに駆け上がると、事務の看護婦に早口で尋ねた。
「あの、本間……手術の……本間千佳子は……」
「本間千佳子さんですか?」
「そう、本間、本間千佳子」
五階まで上がれば息も切れて当然だ。事務の看護婦はさっきとは別の看護婦で、今度はずいぶん細身だった。
「本間さんは、三十分前に手術を終わって」
「無事だったんですか!? 手術は、成功したんですか!?」
「ええ、無事に手術は終わりました」
そのとき僕は飛び跳ねたいような衝動に駆られて、実際少し跳ねていたかも知れない。とにかく、言葉にならないほどに嬉しかったのは確かだった。
「今、今はどこに……」
「術後の経過を見るために ICU に入ってます」
「ICU って言うと……集中治療室?」
「そうです」
「場所はどこに?」
「一階別館にありますが……面会謝絶ですよ?」
看護婦の言葉は僕をがっかりさせはしたが、それでも僕は ICU に向かうことにした。遠目でも彼女を確認できれば何かわかるかも知れない。あるいは、彼女の無事をこの目で確認したかったのかも知れない。
はやる気持ちを抑えてゆっくり歩く。病院内を走り回って、他の患者にぶつかりでもしたら大事だ。僕は思ったより冷静でいた。
「ICU ……ここかな?」
テレビドラマで見るような、ガラス張りの部屋があった。ガラスの向こうの患者は皆、喉やら口やらに管を入れている。間違いない。
「本間……本間……」
ネームプレートが掲げてあるわけでもないのに、僕は名前をつぶやきながら探していた。
「本間……千佳子……」
やがて彼女を見つけた。
彼女は、とても穏やかな表情で眠っているように見えた。口周りに管を固定されて、当然ながら化粧っ気も何もない顔だったが、きれいだった。真っ白な顔で、笑顔でいるわけでもないのに、とても魅力的だった。その彼女の顔を見たとき、なぜか、僕の目には涙が溢れていた。
「ちょっと、君、ここは関係者以外立ち入り禁止……」
一人の医師が僕を連れ出しに来たようだったが、僕の様子を見て態度は一変した。
「あ、ご家族の方でしたか。失礼しました」
「あ、あの、彼女は」
「ご安心ください、千佳子さんは快復に向かっています」
「ということは……」
「もう数日すれば ICU から出られますし、一週間もすればお話もできるようになるでしょう」
きっと僕の顔はよっぽどの笑顔だったのだろう。医師は満足そうな顔になって、彼女の容態をいろいろと説明してくれた。
彼女の病気の根治療法が確立されたので、手術に踏み切ったこと。昼に発作が起きたので手術を早めたが、経過に問題はないこと。一ヶ月もすれば一人で歩行くらいできるであろうこと。
僕は、ただ黙ってうなずいていた。
その日は大人しく帰ることにした。これ以上ここにいても何ができるわけでもない。
毎日、彼女に会いに来よう。そう自分に誓って、僕は中央病院を後にした。