monologue : Other Stories.

Other Stories

青と命

長い長い戦争の後に残ったのは、大きく広がる灰色の空と、荒んだ国境のない大地だった。人々は寄り添い、光の射さなくなった空の下で、希望も何もない日々を送った。

かつて大国のあった大陸の、あるコミュニティに一人の男が現れた。彼は鉢植えと麻袋を持って、カンバスと絵筆を背負っていた。コミュニティの住民は彼にたずねた。君のその、ちぐはぐな荷物はいったい何なのかと。

「僕は戦前、絵描きを志していた。昔、僕の国では、この植物から青色を作ったんだよ。戦争が終わって何もなくなって、絵の具なんかどこにもないから」
「絵なんか描く余裕がないからだ。ここでは、誰もが生きていくのに精一杯なんだよ」
「だからこそ、生きるために必要なものなんだ。君たちはもう灰色の空に慣れてしまっただろう? 本当の姿を思い出す余裕が必要なんだよ」

そう言って男は、コミュニティの一角に住み着いて植物栽培を始めた。彼が言うには、この土地の気候と土がその植物に合うのだという。元々コミュニティにいた住人たちは、彼を相手にすることはなかった。ただ一人だけ、十五にもならないある少女を除いては。

「ねぇ、あなたは、絵を描いてどうするの?」
「皆に活力を与えたいんだ。生きるための力が必要なんだ。君は、本当の空の色を覚えている?」
「私が生まれたのは戦争が始まってからなの。空の色は、今のあの空しか知らないわ」
「じゃあ、いつか君に、本当の空の色を見せてあげよう」

男は少女に笑顔で答え、忙しそうに植物の世話を始めた。よほどデリケートで日中ずっと見張りが必要なのか、男が自分の住居から出てくることはほとんどなかった。

やがて、大陸全土に雨が降った。しかしそれは、恵みの雨ではなさそうだった。

空一面に暗雲がたちこめ、その雲から流れ落ちるのは、まるで滝のような黒い雨だった。この雨に触れた者は一様に体調を崩し、日に日に衰弱していった。戦争によって生まれた技術は、何年も後の人間の体を蝕んでいった。そして、連日連夜雨は降り続けた。

少女も雨にうたれて体調をひどく崩し、一人では起き上がれないほどになっていた。彼女の両親は嘆き悲しみ、また、自分たちの食料と飲み水の心配もしなければならなかった。何もかも絶望的だと沈む彼らの傍らで、少女がぽつりと言った。

「誰かが扉の向こうに立ってるわ」

彼女の両親は何をバカな、と相手にしなかったが、少女は何度も主張した。死ぬ前に幻聴が聞こえているのだと彼女の両親は考えたが、彼女に死期が近いなら自分たちもいっそ連れ添っていこう、と、黒い雨にうたれるのを覚悟で扉を開けた。

扉の外には、確かに一人の男が立っていた。

「彼女に、絵が描けたので見せようと思って」

そう言って男は、平べったくて大きな布の包みを手渡した。少女の両親がそれを受け取り、いぶかしげに彼を見ていると、やがて彼は滝のような雨の向こうへ歩いていってしまった。

布に包まれていたのは、ひとつのカンバスだった。透き通るような青で描かれた、大きな大きな空の絵だった。カンバスの裏には走り書きで、ただこう記してあった。

「空の青と、君の青い瞳 / いつか晴れるように願って」

それから二日後、嵐のように続いた雨はぴたりと止んだ。雨と一緒に流れてしまったのか、人々の頭上を覆っていた灰色もすっかり消えてなくなり、青々とした広大な空が姿を現した。黒い雨にうたれた人々は、半数が一ヶ月後に亡くなった。残りの半数は、徐々にではあるが、回復しつつあった。

少女は少しずつ元気を取り戻していった。絵描きの男は、雨が止んだ後に姿を現すことはなかった。彼の住居にあった荷物はなくなっていたが、彼が持ち出したのか、それともあの嵐のような雨に流されたのか、それはもう誰にもわからなかった。

人々はやがて街の建設を始め、わずか数年後に活気のある都市を作り上げた。少女は人々の信頼を集めるようになり、都市の代表として自治を取り仕切ることになった。彼女の希望に満ちた瞳が、人々に安心感を与えたのかも知れない。彼の絵は、街の中央に建てられた教会の一室に飾られた。数十年の後この都市は大陸の重要な拠点になり、交易都市として栄華を極めた。

彼が描いた空は、その後百年にわたって色褪せることはなかった。

Fin.

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