monologue : Other Stories.

Other Stories

隣人

けだるい感覚は、気持ちばかりか体まで支配してしまう。冴えない寝起きの頭で思うことは、いつも決まったことだった。

「また、今夜もいつもと同じだろうか?」

この町に赴任してから数週間の間、僕は熟睡できたためしがなかった。

「原因もわかってる、けれど取り除くには少し厄介だ」

髪型を整えて、ひげを剃って、朝食を口の中に放り込んで、スーツに着替えて家を出る。定刻通りの出勤。いつも通りだ。

「あら、おはよう。今日も早いのね」
「おはようございます」

隣の夫婦といつも通りの挨拶を交わす。彼女とは毎朝顔を合わせるが、夫の方に会うことはあまりない。彼も僕と同じで眠れないのだろうか。

喧嘩も浮気も一切ない、仲むつまじく明るい理想の夫婦。少なくとも、この町の住人にとってはそうだった。表面上のことと知っていたかどうかは定かでないが。

彼女たちが理想の夫婦でいられたのは、彼女たちが隣家というものを持たなかったからだった。彼女たちには、僕がこの町に来るまで、隣人というものがいなかった。

「だから、問題の一切ない理想の夫婦だったんだ」

通勤途中、ふとつぶやいてみる。

「彼女たちの問題を解決する方法を見つければ、あるいは」

僕の睡眠不足も解決するかも知れない。いや、きっとそうだろう。

仕事を終えて家に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっている。人通りの少ないこの町で、偶然誰かとすれ違うことはとても不気味に感じる。ただ単に、僕が都会で育ったからかも知れないが。幸い、今日は誰ともすれ違うことなく家に着いた。

「そろそろ始まる頃かな」

最初はテレビで映画でも観てるのかと思ったが、よく耳をすませてすぐに異変に気がついた。隣の夫婦には、家庭内暴力という問題があるらしかった。それも、かなり深刻な。

「どうして!? まだわからないの!?」
「うるさい! お前の言うことなんか信用できると思ってるのか!?」

相当重度だ。今まで町中の誰も気付かず、夫婦のどちらも入院しなかったのは奇跡的とも言えるかも知れない。いろんな物が飛び交って壊れる音が聞こえるくらいだから。きっと体裁に対してよほど執着があって、離婚しないのもそれが原因だろう。おかげで僕はここ数週間、熟睡できたためしがない。

「解決する方法、か」

電気を消してベッドにもぐり込む。僕に出来ることはもう全てやった。

「だから、あなたが……!」
「お前が……!」

だいたい午前二時を過ぎた頃、騒ぎは収まり、妻が一度、風にでも当たるのか知らないが外に出る。涙を乾かしたいのか、煙草でも吸いたいのかどうか知らないが、これはずっと変わらない習慣らしいから、きっと今夜もそうするだろう。そして、玄関前に置かれた彼女宛ての小包みに気付くだろう。もちろん、僕が置いた物だ。

中には、新聞記事の切抜きが数枚と、彼女宛ての手紙が一枚と、拳銃が一丁。手紙にはこう書いてある。

この新聞記事は、家庭内暴力の末に起きた殺人に関する記事です

新聞記事は全て無罪判決。暴力に耐えかねて、という記事ばかりだ。

この手紙と記事は、読んだ後すぐに燃やしてしまうことを勧めます

彼女がそれを選択するかどうかはわからない。明日か明後日の夜になったら、ニュースでそんな話題が出るかも知れない。やるべきことはやったから、あとは僕の関知するところじゃない。こんなやり方できっかけを投げ込んでおきながら、僕はずいぶんと無責任な気持ちでいた。

とにかく、今夜はぐっすり眠れそうだった。

Fin.

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