monologue : Other Stories.

Other Stories

指輪の行方

「最低だわ、本当信じらんない」
「それはさっきも聞いた、もう四回目だ」
「五回目よ。悪循環の見本だわ」
「それも聞いた」

まるで廃墟かと思えるほどに古びた空港で、僕と妻は言い争いをしていた。もっとも言い争いというよりは、罵り合いという方がふさわしい内容だった。

「こんなとこ来るんじゃなかったわ」

彼女とは恋愛結婚をして、数年間は仲むつまじくやってきた。しかしいつからかすれ違いが増え、二人の間には溝ができ始めていた。

「だからよそうって言ったのよ、こんな名前も知らない国に旅行なんて」

たまにとれた休暇で夫婦水入らずでの旅行を計画したまでは良かったが、どうやら旅行先の選択がまずいようだった。もっと立派に観光地してるような場所を選ぶべきだった。

「何がテロの心配、よ。こんなところで立ち往生してる方がよっぽど災難だわ」

そうだ、彼女が言うように、テロだか何だかに対して世間が過敏になっているからだ。だから、決してテロリストが狙わないような国を選んだつもりだったのだが。選択が極端すぎたのかも知れない。

「水は出なくなるわ、電気は日中しか通ってないわ、店は炎天下に板の屋根一枚……。食べ物に関しては言及したくもないわ」
「まあそう言うなよ」
「おまけに今度は何? 一機しかない飛行機が故障?」
「落ち着いて座れって」
「炎天下で、隣の国から技師がやってくるのをのんびり待てって? 隣の国から徒歩で来る天の助けを待てって? 冗談じゃないわ!」

とうとう妻は大きな声でわめき出したが、どうやらあたりに人がいる様子もないので、僕は黙ってその訴えを聞くことにした。

「あれもこれも悪い方向へ向かってるわ! とっととどこかで引き返せば良かったのよ!」
「…………」
「もうちょっと先にもっといい結末がある、いつもそう思ってきたのが間違いだったわ!」
「…………」
「水が出なくなった時点で帰るべきだった。そうよ、そもそもこんな国に来るんじゃなかった」

なかなか彼女は静かにならない。僕は暑さのせいでか、半ばあきらめたような気持ちでそれを聞いていた。

「こんな危ない時期に休暇取るのが間違ってたのよ。いいえ、それより」
「……なんだい?」

彼女は急に静かになって右手で顔をおさえ、肩を上下させ始めた。暑さでにぶった頭でも、彼女が泣いていることにはすぐに気付いた。

「結婚なんかするんじゃなかったわ、あなたなんかと」
「……そうか」

決定的な一言を言われたにも関わらず、僕はあまりショックでもなかった。それどころか冷静な調子の声で、言わなくてもいいことを言っていた。

「じゃ、帰国したらすぐに役所に行ってくるよ。離婚届の書類もらってくる」
「……そうね。後始末くらいしっかりして」

彼女は口元を押さえていた右手を離して、左手の薬指から結婚指輪を抜き取った。そして、廃墟かと思えるような空港の、滑走路らしき草むらに向かってそれを投げた。こんなもの、と小さくつぶやきながら。遠くの方で小銭が落ちるような音がした、そんな気がした。

「あんな指輪、くれてやるわよ。拾った人に喜んでもらえるといいわね」
「さあ、ここらの雨季はすごいらしいからね。誰にも拾われないまま流されて、ひっそりと海に沈むかも知れないな」

また言わなくてもいいことを言いながら、僕は彼女が指輪を投げた方向に歩き出した。

「……ちょっと? 何しようっていうの?」
「探すのさ。指輪を。帰って質にでもいれた方が、お互いにいくらか有益だろう」

きっと自分の発言の全てが、彼女の言う悪循環のもとになっているのだ。僕はふとそんなことを思った。

「バッカみたい。見つかるわけないわ。自分でもどこに飛んだかわからないんだもの」
「かもね。でもどうせ、技師が来るまでもうしばらくあるだろう。それまで飛行機は飛べないんだから、いい暇つぶしになるさ」
「そうよ、どうせあなたにとっては暇つぶしなのよ」
「君のこともそうだと思ってる?」
「ええそうでしょうね。結婚したあの日から、あなたはずっと暇つぶしをしてたんだわ」

草むらをかきわけて、僕は小さな銀の指輪を探した。

「僕といた数年間、ずっとそう思ってた?」
「そりゃ最初は浮かれもしたわよ。でもそれは、結婚っていうイベント自体に憧れてたからだわ」
「それは初めて聞いたな。君が結婚に憧れてたなんて」
「女ですもの。誰だってきっとそうだわ」
「でも君は、僕が半年かけて説得してようやく結婚に応じたじゃないか」
「…………」

いくらかきわけても、光る指輪は見つからない。日差しはやわらぐことなく、僕の額には汗がにじみ始めていた。

「結婚するまで、君は幸せだったかい?」
「いつの話?」
「僕と恋人だった頃」
「……幸せだったわよ。だから悩んだの」
「悩んだ?」
「結婚すること」

汗がしたたり始める。僕はまっすぐに腰と背筋をのばして、ふう、と息をついた。

「結婚したら、二人の関係は変わってしまうわ。もう、幸せで自由で、無責任な恋人じゃない」
「恋人は無責任じゃないさ」
「そうかしら? いつだって目の前から消えられるじゃない。法律に縛られることもないわ」
「でも僕は消えなかっただろう?」

あなたは、と言いかけて、彼女は口をつぐんだようだった。草むらに顔を突っ込んでる僕には、彼女の表情は見えない。

「いつだって、君のことを幸せにする責任があった」
「結婚してそれが変わってしまうだろうから、だから悩んでたのよ」
「努力が足りなかったのかな。君を幸せにすることの」
「……私は幸せだったわ」

体を起こし、振り向いて彼女と向かい合う。彼女は、思ったよりもずっと穏やかな表情で僕を見つめていた。

「あなたと過ごした数年間、幸せだったわ」
「そうか。最後の最後がこんな名前も知らない国で、申し訳ないな」
「……指輪」

彼女は僕から目をそらして、少し視線を泳がせ、ちっとも日差しを弱めることのない太陽を見て、まぶしそうな顔をする。

「指輪、見つかったら、もう少し一緒にいてもいいわ」

もし見つからなかったら、とまた言わなくてもいいことを言いそうになって、僕はぐっと言葉を飲み込んだ。

「そうか、じゃ一生懸命探さないとな」

僕は小さく、力強くつぶやいて、また草むらに頭を突っ込んで、銀の指輪を探し始めた。日差しはやわらぎはしなかったが、彼女は穏やかな表情のままだった。

技師がほのぼのとした笑顔で現れたのはそれから二時間後で、僕らが誓いのキスを交わして、神様にお祈りをした百と十分後のことだった。

Fin.

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