Other Stories
誓いの味
- Forget Me Not
- http://www.junkwork.net/stories/other/017
「それでは、誓いの口づけを」
「……つっ!」
僕が驚いて彼女から一歩離れたときには、式場全体がそのことに気付いていたようだった。ぱたぱたと音をたてて、僕の白いタキシードに赤く丸い染みができていた。彼女が口づけのときに、僕の舌を少し噛み切ったのだ。
「痛い思いをさせてごめんなさい」
「何を考えてるんだ、いったい」
「これは、私の一族のしきたりなの」
彼女の親族に目をやると、僕の親族に比べて誰もが落ち着き払っていたように見えた。それどころか、口元にかすかに笑みを浮かべて、僕のタキシードの血痕を見ている人さえいた。
「もう何百年も続いてるのよ。血の誓いというの」
そう言って無邪気に笑う彼女には、悪意はひとかけらも感じられなかった。
「もう三年も前のことだ」
三年前の彼女との結婚式は、少なくとも僕にとっては大きなカルチャーショックだった。華やかな西洋式の結婚式が主流になっても、その中へ巧みにしきたりを取り入れている一族。彼女の親族に持った印象はそんなものだった。
「三年も前だ。いろんなことがあるさ」
僕は、彼女の墓前で小さくつぶやいた。
彼女は、結婚式を挙げてわずか半年で亡くなってしまった。もともと不治の病を患っていたとかで、医者にも数年の命だろうと宣告されていたらしい。
「教えなかった君を恨んではいないよ」
僕は、彼女の病気のことを知らされていなかった。僕が彼女にプロポーズしたとき、それを受け入れた彼女の表情に一瞬影を見ていた気がしたが、全て終わった今だからこそ、そう思うのかも知れない。そう、全て終わった今だからこそ。
「来月、ある人と結婚することになった」
今日彼女の墓に参ったのはその報告のためだ。僕は花を添えると、手を合わせて彼女の成仏を祈り、その場を立ち去った。
(血の誓い、か)
彼女の墓から婚約者のもとへ向かう僕の脳裏に、結婚式での無邪気な笑顔が蘇った。血の誓い。なんて物騒な名前なのだろうか、と。
(あの後、その言葉は一度も聞かなかったな)
語感の不気味さから、彼女に問いただしたい気もあったが、ただの他愛ない宗教的儀式のようなものだと自分に言い聞かせ、一切それを口にすることはなかった。
(あるいは、とんでもない内容を聞かされるのが怖かったのかもな)
待ち合わせ場所から僕に向かって手を振る婚約者を見つけ、僕は頭から彼女のことを振り払った。彼女と、その一族の習わしのことを。
「ごめん、待った?」
「ちょっとね。お墓参りはもういいの?」
「ああ、報告はすませてきた」
婚約者には、ご先祖様に報告する、と言って墓参りをしてきた。律儀なのかいい加減なのか、自分でも自分の行動がよくわかっていなかった。
「じゃ、行こうか」
「ねぇ、その前に」
彼女は僕の頬を両手で押さえて、唇を近づけてきた。
「おい、こんなところで、誰か見て」
彼女は僕の言葉にかまうことなく口づけをした。そして……。
「……つっ!」
僕は、前にも経験したことのある痛みを感じ、彼女から一歩離れた。三年前と同じ場所を噛み切られた。直感的にそうわかった。
「これはね、ずっとずっと一緒にいられるように、っていうおまじないなの」
目を見開く僕に、彼女は無邪気な笑顔をみせた。
「肉体が消滅しても、ずっとずっと一緒にいられるように」
僕は、その笑顔に何故か見覚えがある気がした。
Fin.