monologue : Other Stories.

Other Stories

受話器

ある意味で、空虚とも言い表せるだろう。

小さな公園のひとつくらいその中に収めてしまえるほどの広さの部屋で、300 人からなるオペレーター集団が、ひたすら受話器とだけ話をしている。集団はいくつかの列に分けられて無機質な長机に向かって座り、左と右は真っ白なボードで仕切られ、幅 60cm 程度の作業用スペースと、ひとつ前列のオペレーターの背中だけが目に入る全て、そんな世界で働いている。

耳に入る会話らしきものは、全てが一方通行に聞こえる。

「空虚とも言えるな」

僕は、ふと思いついた言葉を口にする。作業スペースには、いくつかのタイプから選べる受話器と液晶キーボードと液晶ディスプレイ。正確には、いくつかのタイプから選べた、受話器。

「失敗だったかな」

僕が選んだ受話器は、20 世紀後期型の、いまどき骨董市にも出回らないようなルックスのやつだった。もっとも中身はちゃんとしたものだから、受話器を耳に当てたところであの不快で曖昧な電子音は聞こえてこない。ただルックスだけがどうしようもなく古めかしく、プッシュ型のボタンに印刷された数字が少しかすれていた。

僕は受け専門のオペレーターだからボタンを押すことはないのだが、だとしたらこれは最初からかすれて印字されていたのだろうか。最初はどうだっただろう、なんて、そんなくだらない部分がどうだったかを覚えてはいない。

「失敗だった」

もう少しマシな選択肢があったような気がするが、昔祖父が見せてくれたハードコピーの図鑑に載っていたこの受話器を、どうしても僕は手元に置いておきたかった。しかし、毎日仕事で向き合うことがこんなに苦痛だとは想像もつかなかった。

きっと隣のオペレーターも隣の隣のオペレーターも、もっと近代的な液晶盤モデルの受話器を使っているに違いない。

「なあ、E-029」

左のやつに声をかけてみる。どうかしたのか、故障でもあったのか、と、通話口を押さえながら左のやつはボード越しに僕を見た。左のやつは少し背が高くて、あるいは座高が高かったのか、ボードの上から僕を見下ろすようにすると、ただ一言、

「なんだ、受話待機中か」

とつぶやいて、またボードの陰に隠れてしまった。ちらりと見えた彼の受話器はやはりピカピカで、きっとあれは最新型か一世代だけ前の型だろう、と僕は推測した。

今度は、右のやつに声をかけてみることにした。

「なあ、E-027」
「何? バックドアウィルスでも仕込まれた?」

右のやつはちょっと椅子をひいて、ボードの後ろから僕の様子をうかがった。彼は、しばらくの間じっとこっちを見ていたけれど、僕が何も言わないうちにまた自分のスペースへ引っ込んでしまった。彼の受話器をはっきりとは見れなかったけれど、ヘッドマウント型のマイクを装着していたから、少なくとも 21 世紀前期以降の型の受話器だろう。

僕は声に出さずに、いいなあ、とつぶやいてみた。

「やれやれ、毎日向き合わなきゃならないってことの意味がわかってたら、もっとスタイルのいいやつを選んでいたんだろうに」

僕の仕事は、毎日受話器に向かわなくちゃならない。いろんな人からかかってくるいろんな電話を、やんわりと応対しながら記録していくのが僕の仕事だ。それは時に苦情の電話であり、時に激励の言葉であり、時にはテレフォンセックスなんて古めかしい性癖を披露してくれたりで、その連続は毎日休むことなく続いていく。

目の前にある液晶キーボードと液晶ディスプレイとにらみあって、300 人もいながら会話の成立しないこの広い部屋で、僕は毎日、この骨董のような受話器と向き合う。

「どうかしたのか、E-028」

前の席のオペレーターが、体をよじって僕の方へ振り返る。

「なんでもないよ、D-028」

僕はこいつが嫌いだった。理由は自分でもよくわからないけれど、いや、きっと彼の大雑把な性格が嫌なのだろうけれど、とにかくあまり話したくなかった。

「なんだ、なんでもないのか。困ったらいつでも言えよ」
「ああ、困ったら。困ったらよろしく頼むよ」

数少ない会話が響いても、誰も気に留める様子はない。受話器はひっきりなしに鳴るからだ。僕やこいつのように一息つく時間ができるのは、きっと受話器の型が古くて、それの呼び出し音が不快なタイプだからだろう。彼の受話器も少しだけ古い型だ。

「それにしてもなあ、お前」

彼は僕を勝手に「お前」と呼ぶ。法務省にコールを入れれば、彼は十五分後には拘置所に入っているだろう。相手の許可なく相手を馴れ馴れしく呼ぶことは、州法 523 条 12 例で禁止されているのに。僕は彼のこういうところが嫌いなのだろう。

「お前の、その受話器、文字のかすれ具合がいいんだよな」

そして彼はいつもわけのわからないことを言う。かすれ具合? 何がどういいのか僕にはさっぱりわからない。

「いやあ D-028、君の受話器の呼び出し音は最高だよ」

僕はいつも嘘をつく。

「やっぱりそうか、お前にはわかるか。ここには 300 人もオペレーターがいるけれど、そのことに気付くのはお前くらいだよ」
「もっと鳴ればいいのにね。君や、僕の受話器」

そんなくだらない、呼び出し音なんかどうでもいい。彼の受話器の呼び出し音は間違いなく不快だし、僕のだってそうだ。ジリジリ鳴って頭が割れそうになる。

「まあ、気楽にやるさ」

そう言うと彼は体の向きを元に戻し、自分の受話器と向き合った。僕は小さく小さくため息をつく。

「まあ、気楽にやるさ」

そしてこうつぶやく。

この受話器を選んでひとつだけ良かったことは、他のオペレーターより仕事量が少ないってことだ。結果的にそうなっただけだから、もしかしたら僕はこの受話器の全てを否定していた可能性もあるけれど。とにかく、気持ち悪い男の喘ぎ声を、多分他のオペレーターよりも聞かないで済む。

僕の仕事はただ受話の記録を取るだけだから、この会社がその記録を何に使うのかは知らないし、そもそもどうしてこんなにいろんな内容の電話がかかってくるのか、それすらも想像がつかない。ただ、午前九時過ぎに出勤してこの席に座り、午後五時まで、自分の作業スペースと左右のボードと前のやつの背中と、古めかしい受話器を見つめて記録を取り続けるだけだ。そしてその話の内容は、そう、叱咤激励であったり、忌々しいような性癖だったり。

「女性オペレーターだったら、やつらはもっと喜べるんだろうか」

それともやつらは同性愛者か何かで、僕のような男性オペレーターが応じることを期待しているんだろうか。

「ああ、気楽にやるさ」

もう一度つぶやく。液晶キーボードに手を触れ、液晶ディスプレイに文字を表示させてみる。しばらくの間、液晶ディスプレイに現れた十文字くらいの文章を見つめて、今度は小声でそれを読み上げる。

「お前の受話器は最高だ」

誰かの受話器の呼び出し音が響く。一方通行の言葉がいくつもいくつも宙を舞う。やがて僕の受話器が、古めかしい呼び出し音を鳴らした。

「はい、第十八受話室です。ご用件をどうぞ」

液晶キーボードの上で指を踊らせ、記録を取る。誰かの呼び出し音と、一方通行が響く。

Fin.

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