monologue : Other Stories.

Other Stories

憂うべき彼女の事情

両手も両足も投げ出して、スプリングが少しきしむベッドの上に転がる。窓から微かに差し込む夕日がまぶしい。目を細めがちにしながら、薄汚れた天井をじっと見つめる。

鉄は熱いうちに打て、と言うが、冷めてしまった鉄はどうするのだろう? 一度チャンスを逃してしまえば、もう返り咲く見込みはないのだろうか? ふと、昨晩のことを思い出した。

「久しぶりだね」
「懐かしいなあ、元気にしてた?」
「お前、今何してんの? 家業継いでる?」
「え、今どこに住んでるって?」

懐かしい連中と、同窓会で十年ぶりに顔を合わせた。三十人のいい大人たちがわいわいと、居酒屋の一角をこれでもかと騒がせていた。

「久しぶり」
「ああ、久しぶり」

その中には、僕が想いを寄せていた女性もいた。彼女は年齢相応の顔つきにはなっていたけれど、それでも変わらず僕の目には魅力的に映った。左手の薬指で、銀の指輪が控えめに輝く。

「ええ、お前社長やってんの?」
「誰か担任呼んでこいよ、いろいろ話したいだろ」
「変わらないわねぇ、あなた達も」
「ふふ、もうちょっと大人らしくなれないのかしら?」

十年前と変わらない威勢のよさで、僕らは馬鹿みたいに大騒ぎをし続けた。懐かしい顔と再会するのが嬉しかったし、彼らが変わらないでいてくれることも嬉しかった。きっとそれは誰も同じだろう。

僕が数年間想いを寄せ続けた彼女も、変わっているのは外見だけのような気がした。少し控えめにおとなしく笑い、ときどき驚くほど的外れなことを言って周囲を沸かせる。天然だ、なんて周りに言われて、少し恥ずかしそうに笑う。

きっと僕らは、集まるたびにこんなことを話すのだろう。そして僕は、集まるたびにこんな感傷に浸るのだろう。僕はそう思った。

「ん、ちょっとトイレ」

あの頃と唯一違うことといえば、僕らはアルコールが飲めるようになった。炭酸系のジュースとお菓子で騒ぐのとは一味違う。度を過ぎて深入りすれば正体をなくすやつもいるし、酒にあまり強くないことを自覚している僕は、烏龍茶でも飲んでアルコールを薄めようとするのだけれど、たびたびトイレに立たなきゃならない。少しだけ情けないかもな、と僕は苦笑いしながら席を立った。

(もうほとんど抜けたかな)

男女兼用の小さなトイレに入って鏡を見つめ、顔がだいぶしらふに戻ってきたことを確認する。そのとき、トイレのドアをノックする音がした。

「あ、入ってます」

急いで用を済ませようと鏡の前から便器の前に立ったとき、トイレのドアは素早く開いて、またすぐ閉じた。よっぽど気分の悪い人でもいるのかと振り向くと、そこにいた女性はしっかり自分の足で立ち、僕をじっと見据えていた。左手に、銀の指輪が光る。

「あ、ごめん、ちょっと待ってて」

複雑な心境で作り笑いをする僕に、彼女は音もなく歩み寄った。少し酒臭い顔を近付けて言う。

「ねぇ、私のこと好きだったの?」

アルコールが抜けた顔が、また赤くなったのがわかった。

「え、何? なんで?」
「さっき、男の子たちに聞いちゃった」

騒ぎ立てる友人たちの様子が目に浮かぶ。酔った勢いで余計なことをわめき散らしてるのだろう。多分少し引きつった表情になりながら、言い訳のようにぼそぼそと話す。

「ん、まあ、十年も前だけど、まあ」

視線を落とし、彼女の左手を見る。薬指の指輪が、蛍光灯の明かりを反射している。その光が一瞬鈍くなったかと思うと、目の前に彼女の顔が大きく現れ、僕の視界を完全に塞いだ。

「ちょ……!」

僕の台詞は最後までは声にならず、彼女の唇が僕の口を塞いでいる間、これはどういうことなんだろう、と、のぼせた頭は必死で回転を続けた。

やがて口を離した彼女と視線が絡む。その表情は、僕の憧れたどれとも違った。

「何考えて」

また言葉をさえぎられる。押し付けるように口づけをする彼女に逆らえず、少しずつ後ずさりをして、壁に軽く頭を打ち付けた。

「ん、ん」

抵抗の意思を表そうとしても、どれも声になるはずもない。絡まる舌と同じような動きで、彼女の手が僕の太股のあたりを撫で回した。首筋に、鳥肌が浮くのがわかった。

「……っと待って!」

思わず大きな声を出して、彼女を突き飛ばす。興奮したのか憤慨したのか、息を荒くしながら彼女を見つめる。彼女は、驚いた表情で僕を見ていた。

「……何考えてんだよ」

目をそらし、トイレのドアを開けて同窓会の席へ戻る。上着をつかみ、財布から何枚かお札を出して机の上に置く。

「悪い、今日はちょっと。また呼んで」
「なんだよ、帰るのか。仕事でも?」
「うん、まあ」
「じゃ仕方ないな。また連絡するよ」

呆気にとられたような表情の同級生たちに別れを告げて、上着を羽織りながら店の出口に向かって歩き出す。トイレの方へ目をやると、彼女はドアの前に立ち尽くしていた。その視線には、少し絶望のような色があるように思えた。

そのまま家に帰って、泥のように眠った。眠ればいろんなことを忘れてしまえる気がしたけれど、そういうわけにもいかないようだった。酒が入っていたけれど記憶ははっきりしている。

冷めた鉄はどうするのだろう? もう一度熱するために溶鉱炉に投げ込むのだろうか? 一から全部作り直す方がいいのだろうか。

電話のベルが鳴った。

「あの、私です」

彼女の声は迷いに満ちているようで、少しだけ震えているように聞こえた。

「君か。何?」
「その、昨日は……ごめんなさい」
「昨日? ああ、気にしてないよ。お互い酔ってたし」

僕が嘘をついていることに気が付いたのか、彼女は少し黙り込んだ。少し間をおいて、聞こえるか聞こえないかくらいの小さなため息をつくと、さっきよりも力強い調子で彼女が言う。

「本当にごめんなさい」
「気にしてないから」
「でも、私」
「ただ」

わざと遮るように言う。昨日のお返しというわけでもないけれど。

「家族に心配かけるようなことはしない方がいいと思うよ」

受話器を握る彼女の手には、きっと銀の指輪が光っているのだろう。しかし彼女の口調は、弱まりはしなかった。

「いいのよ、心配してくれるような人なんていないんだから」

僕は何も言わず、彼女の次の言葉を待った。

「その」

夕日がまぶしい。窓に目をやって少し細める。

「今、駅前の喫茶店にいるの。学生時代によく使ってたんだけど。よかったら、一緒にお茶でも」
「今から?」
「都合が悪かったら、別にいつでも。今すぐでなくても」
「考えとくよ」

彼女の答えを待たずに電話を切る。もう一度、ベッドに寝転んで天井を見つめた。

熱いうちに打てなかった鉄は、どうするのだろう? 僕は鉄鋼関係の職人じゃないし、そんな知り合いもいない。誰に聞けば答えを教えてくれるのかも想像がつかないし、そもそも鼻で笑われてお終いかも知れない。そんな間抜けのやるようなヘマはしない、なんて。

そう、僕は間抜けだ。

「知ってるよそんなこと、十年前から」

つぶやいてベッドから起き上がり、上着をつかむ。行き先は決まっている。もちろん、そこで僕が何を言うべきか、も。

夕日がまぶしい。

Fin.

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