monologue : Other Stories.

Other Stories

新しい方法

薄汚いビルの屋上に、一人の男が立っていた。微動だにすることなく、ほとんど明かりが灯ることのなくなった街を見下ろしながら。スーツが、風でなびく。

彼の背後で、扉の開く音がした。屋上と階下をつなぐ、通用口の扉の音。

「しばらく独りにしろと言ったはずだ」

そう言いながら男は振り向き、通用口のすぐ側に立っている人物が、自分の知っている人間ではないことに気が付いた。

「誰だね、君は」
「あんたの秘書はそこで眠ってる。半日は目が覚めない」

不審な男が、右手の親指で肩越しに通用口を指差す。その男は全身黒ずくめで、まるで秘密の作戦に駆り出された特殊部隊のような風貌だった。

「誰だね、君は」

スーツの男がもう一度同じ質問を投げかける。黒ずくめの男は左手を体の後ろにまわし、それからゆっくりと、自分の目線と相手の目線の上へ重なるように、手にしたそれを持ち上げた。夜の闇の中でもある種の異様な光を放つ、サイレンサー付きのハンドガン。

「あんたの時代を、終わらせにきた」

それだけ言えばわかるだろう、とでも言うように、ハンドガンを構えたまま黒ずくめの男は黙り込む。

「ほう、今夜か」

スーツの男はそれをあらかじめ知らされていたかのような口ぶりで、全て悟っているかのような口ぶりで、目の前の凶器にも慌てることなく言った。ゆっくりと、自分の足元へ視線を落としながら。

しばらく間をおいて、黒ずくめの男が口を開く。

「あんたのことは尊敬してる。でも、そのやり方じゃだめなんだ。ずっとあんたを信じてきたし、神様のように疑いもしなかった。でも、そのやり方じゃだめなんだ」
「神なんてものはいないと私は思っている」
「そのやり方じゃ、あんたの方法じゃ、だめなんだ。せいぜい半分しか幸せになれないんだ。世界を、富めるものと貧しいものに分けてしまうだけなんだ」
「そんなに、かね。せいぜい三割程度が甘い汁をすすってるんだと思っていたが」

二人の間を、数メートルの距離をくぐり抜けるように、風が吹く。

「だめなんだよ。それに、あんたがやり直すにはもう手遅れなんだ」
「それで今日、なのか。君がその銃で私を、明日からは別の方法で、か」
「他に、方法がないんだ」

黒ずくめの男の言葉はどこか感情的で、そうしなくてはならなくなった自分の境遇を嘆いているようにも聞こえた。今にも泣き出しそうな、不安と迷いに満ちて震える声。

「そうか、もうそんなに、か」

スーツの男は悟ったような口ぶりで、視線を黒ずくめの男へと戻す。

「思えば私が力を持つようになってから、誰も意見するものはいなかったな。私の周りが腹黒い連中で埋め尽くされていたのか、それとも私が聞く耳を持たなかったのか」
「何を言ってもだめだ」
「もう少し早く君に会えていたら、一切そう思わないと言ったら嘘になるな」

スーツの男が二三歩、黒ずくめの男に歩み寄る。

「近付くんじゃない。そこで止まれ。あんたに選択の余地はない」
「そうかね」

スーツの男が立ち止まる。振り返り、街を見下ろしてから、空を仰ぎ見る。

「街は、いつの間にか夜空より暗くなってしまったのだな」
「……そうさ、あんたのせいだ」
「何もわかっていなかった。病に体を蝕まれていくような、そんな思いだ」

黒ずくめの男は何も言わない。また、二人の間を風が吹き抜ける。

「どうした、私を撃つんじゃないのか」
「……言われなくても」
「迷っているのか。かつて尊敬した人間の、息の根を止めることに」
「黙れ」

ハンドガンを両手で構え、狙いを定める。銃身が、少し震えているようにも思われる。

「少し、不安になるものだな」

スーツの男が、黒ずくめの男と反対方向に歩き出す。数歩歩いたところでビルのフェンスに阻まれる格好になり、少しの間立ち止まる。

「後に遺してやれるものが、何もないとは」

それだけ言うと、スーツの男はフェンスを登り始めた。

「……おい! 何してる! 逃げられやしないぞ!」

自分が言わなくてもいい台詞を口にしている、と自覚しながらも叫ぶ。ここはビルの屋上、二十階建てのビルの屋上なのだから。下まではゆうに六十メートルはあるだろう。

「逃げやしないさ」

スーツの男はフェンスを登り切ると、その上に立ち、危なっかしいバランスで空を見上げたまま動かなくなった。いつ風が吹いて落ちるか、わかったものではない。黒ずくめの男は、狙いを定めたままのハンドガンを握る手に、力を込めた。

再度狙いを据えて、引き金を引こうと指をかけたそのとき、スーツの男が振り向いた。最初は顔だけ、そしてフェンスの上で体も向きを変える。ステップを踏むような軽やかさで足の位置も入れ替え、完全に体は暗殺者と対峙した。

「君の名を聞いてなかったな」
「……必要ない」

いつでも発射できるように、狙いを定めたままつぶやくように答える。

「そうかね。それもそうだな」
「…………」

スーツの男は軽く笑うと、両手を広げて見せた。対峙するものを受け入れるようなその姿勢は、教会に飾られた聖者の像のような格好にも思えた。

「思わんかね、君」
「…………」
「世界は広すぎる。人生がままならないように、何ひとつ思うようにはならないようだ」

そう言ったかと思うと、スーツの男は、少しだけ重心を背中側に移動させた。ゆっくりと体は仰向けへと近付き、ほぼ水平になった直後、フェンスから足が離れる。

「……!」

黒ずくめの男が慌てて走り寄る。

「ちょっと、待て……」

手を伸ばしても、もう遅かった。スーツの男はさっきの姿勢のまま落下していく。

「…………」

一瞬、その口が動いたように思えたが、言葉は聞き取れなかった。

やがて、全てがにじむように、闇の中へ飲み込まれた。ここから地面まで見通すには、距離がありすぎる。

「なんで……」

任務は遂行したはずなのに、肩はずっしりと重い。うなだれるように通用口の扉をくぐり、黒ずくめの男は屋上から去った。

最後に言い残そうとした言葉が何であるか、わかってはいるけれど認めることができない。もし自分の見たものが間違いでなければ、自分の行いは間違いだったことになるのではないか。そんな思いが頭の中で渦巻いた。

(なんで……)

心の中で何度もつぶやきながら、薄汚いビルから外へ出る。そこには真っ黒なバンが、男の帰りを待っていた。中から、彼と同じように黒ずくめの男が彼を出迎えに現れる。

「どうだった、首尾は」
「もちろん成功だ。警備の手薄さには少し驚いたがね」
「他に誰か殺したか?」
「いや、気絶させただけだ」
「そうか。任務、ご苦労」

力強く肩を抱き、激励の言葉をかけてから、彼の様子が少し変であることに気が付く。

「どうした。尊敬していた人間を殺すのは辛いか?」
「そんなことはないさ」
「無様な命乞いでもされて気分が悪くなった、とか」
「いや……命乞いもしなかった」

バンに乗り込もうとして一瞬立ち止まり、思いつめたように視線を宙に泳がせ、ぽつりとつぶやくように言った。

「"あとをよろしく" だそうだ」

それ以外は何も言わず、男はバンに乗り込んだ。もう一人も後に続き、やがてバンはどこかへと走り出した。

次に来る夜明けは今までと違う、乗員の誰もがそう思いながら。

Fin.

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