Same Old Story
見えない力
- Invisible One
- http://www.junkwork.net/stories/same/173
「辛気臭いわね、誰なのその写真立て?」
妻がコーヒーをすすりながら、本棚の横に飾ってあった写真立てに気付く。
「叔父さんだよ、僕の。先週末、親父の書斎を整理してて見つけたんだ」
「へえ、初めて見る顔だわ」
「だいぶ早くに亡くなったからね。君と出会う何年も前に」
先月、僕の親父が病に倒れて三日と持たずに逝ってしまった。遺品を整理したときに見つけた叔父の写真は、もう何十年か前のもののようだった。
「どうりで、冴えない顔してると思ったわ。あなたにそっくり、じっくり見てると嫌な気分になるわね」
妻が写真立てを手に取り、口汚く罵る。
「そういう言い方はやめてくれ」
僕ら夫婦はもう随分と長い間こんな調子で、本来あるべき夫婦の姿からは遥かにかけ離れていた。友人に言わせれば、離婚しないこと自体が奇跡的、とか。
「あら、自分のことには不感症なのにね」
「…………」
僕は彼女にとって最悪な評価を得るような亭主なのだろう。結婚して数年は穏便に過ぎたけれど、それ以降はことあるごとに彼女は僕を罵った。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのか、僕の好きなものや僕の親しい人は皆嫌いなようだった。今度は親戚、それも故人かと思うと、僕はため息を隠すこともできなかった。
「私たちが会う前っていうと何十年か前じゃない? 病気でもしたのかしら」
コーヒーをすすりながら尋ねる彼女の視線は、それほど興味もないといったふうだった。本当は叔父の死因なんかどうでもよくて、何か愚痴でもこぼすネタが欲しいのだろう。
「病気じゃないよ」
「じゃあ、事故?」
僕の友人曰く、彼女が離婚も別居も申し出ないのは、僕からそれを持ちかけた場合の方が慰謝料をふんだくれるからなんだとか。
「事故でもない」
「じゃ何なのよ」
だから彼女は、毎日僕を罵るネタを探しているのだ。
「殺されたんだ。元、僕の叔母に」
一瞬彼女の顔がこわばり、それを隠すようにカップに口をつける。
「……それはご愁傷様。妻に殺されるなんて、さぞ間の抜けた男だったんでしょうね」
「さっき君が言った通りさ。僕にそっくりな人だった。元叔母は、君そっくりだった」
「……何言ってるのよ」
彼女の声は少しだけ震えている。
「僕そっくりにおとなしくて臆病だったから、妻の仕打ちに抵抗できなかった。僕は叔父さんが好きだったから、彼が悩んでたことはよく知ってた」
「殺されたって、どうやって?」
「参考にするかい?」
僕が冗談めかして言うと、彼女はまた何かを隠すようにカップを口へ運んだ。
「何のことはない、君がやってるのと同じことだよ」
「私が? 何をしてるっていうのよ」
「死ぬまでいびられ続けたんだよ。叔父さんは、発狂して首を吊った」
「……それが、殺したってことになるわけ?」
何か振り払うように鼻で笑い、彼女がいつもの調子を取り戻す。
「馬鹿馬鹿しい、本当にあなたと同じね、女々しいったらありゃしないんだもの」
「…………」
「ええ本当にそっくりだわ。それで、あなたはいつになったら叔父さんの真似事をするのかしらね」
「……残念だけど」
意表をつかれたような表情で僕を見つめ、空になったカップを置いて言う。
「何が残念なのよ」
「残念だけど、君の思い通りにはならない」
「あら、強気ね」
写真立てを手に取る。
「すっかり忘れてたんだ、叔父さんのことも、彼ら夫婦のことも」
写真の彼は、何十年も変わらない表情のままだ。
「けど、親父が逝ったことがきっかけになって写真を見つけた。それで思い出した」
変わらない、笑顔のままの写真。懐かしい、大好きだった叔父。
「きっと、親父と叔父さんが警告してくれたんだろう。いつかお前は殺されるぞ、って。きっと何か、見えない力が働いて」
妻に目をやると、カップを投げ出して机に突っ伏していた。
「……だから、決心することができたんだ」
倒れたカップをきちんと立て直す。
「コーヒーの中にも、見えない力が働くことはあるんだよ」
妻はもう何も答えはしなかった。
Fin.