Same Old Story
貧民街
- Slums
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「予想以上にひどいな」
「報告書提出からずいぶん時間が経ってますからね」
「あれ自体いい加減なものだったんじゃないかな。安請け合いするんじゃなかった」
「そう言わず、やれるだけやってみましょう、先生」
廃墟の一歩手前かと思えるほど荒廃した貧民街の入り口で、二人の男がぼそぼそと話し合っていた。先生と呼ばれた男はある教育機関の職員で、政府からこの街の調査と地域正常化の対策発案を依頼されていた。
「犯罪率はどれくらい?」
「悪名高い世界各国のスラムに比べたらいくらかマシですが、決して治安が良いとは言えませんね」
「内容は?」
「ほとんどが窃盗です。傷害や殺人の類は少ない方で」
顎を右手でさすり難しい顔をして、うむ、とうなりながら通りを歩き始める。先生と呼ばれた男の後を、もう一人が慌ててついて歩く。
「先生、あまり奥まで入ると危険です。今日は警護もないんですから」
「外から眺めるだけじゃわからないだろ」
「しかし、少ないとはいえ強盗などもないわけでは」
「好んで命まで取りはしないさ」
数十メートルほど歩いたところで立ち止まり、管理を放棄されたような建物を眺め、ぐるりと首を回す。
「この地域を正常化する対策、ねえ」
「難しいですね。街の規模や人口も正確に把握できていないのに」
「それは大した問題じゃないな。方法もないわけじゃないんだが」
「というと」
問いかけに答えようと振り向いたその瞬間、背後の物陰から何かが飛び出した。
「あっ!」
それはやせ細った子供だった。物陰から隙をうかがっていたのだろう、飛び出した瞬間に二人の鞄に飛びつき、強引に奪うと、その体つきから想像できない速さで駆け出した。
「先生、追いましょう!」
走り出そうとする男の肩をつかみ、落ち着き払った声で答える。
「いいんだ、追いかけるな」
「しかし」
「貴重なものは入ってない。無理して追うことはない」
子供は二度三度振り返って自分が追われていないことに気付くと、すぐ近くにあった建物の中へ飛び込み、そのまま姿をくらましてしまった。
「先生」
「仲間がどこかで待ち伏せしてたら危ないだろう」
「やっぱり、警護をつけておけば良かった」
「どちらにしろ同じだろう。あの子は生きるために必死だろうから、相手が何人いても同じことをしただろうさ」
「…………」
「命がけでやったんだ、鞄のひとつくらいくれてやろう」
少し納得のいかない表情を残したまま、二人は街の出口へ向かった。しかし、先生と呼ばれた方の男は大して悔しそうな表情をしているわけでもなかった。
「……先生」
「どうした」
「何を考えてらっしゃるんですか? 鞄のこと」
「ああ、別に腹が立っているわけではないな」
二人は立ち止まって向き合う。
「こんなところへ鞄なんて持ち込めば、そりゃ盗まれるだろうさ」
「わかっていたんならどうして」
はっとなって口元を押さえ、別の質問を投げかける。
「鞄の中には、何が?」
「今日の昼にでも食べようと思ってたパンが、多分三人前くらい」
「……他には?」
ポケットから小さな小ビンを取り出す。側面には、赤い文字の印刷されたラベルが貼られていた。
「それは」
「偶然持ち歩いてた薬品だよ。劇薬に指定されてるから持ち出し厳禁なんだが、誤って研究所から持ち出してしまった」
「……先生」
「もしかしたら、鞄の中に少しくらいこぼしたかも知れないな。さっきまでポケットには入れてなかったから。パンは後で捨てた方が良かったかも知れない」
「……先生」
「手癖の悪いのからどうにかしていけば、比較的早く正常化できるだろう」
それだけ言って、また街の外へ向かって歩き出す。
「……こんな方法でいいんですか」
「あの子だってリスクは承知のうえでやってるんじゃないかな」
「僕は、彼らを裁いて命を奪うようなことは」
「誰だって好きじゃないさ。他に方法があるならそうする」
しばらく黙って歩き続ける。やがて元いた街の入り口に戻ると、立ち止まって振り返り言った。
「そうするしかない場所に生まれたことは同情するよ」
「生まれた環境が悪いことが全部悪いんでしょうか」
「それもあるだろうね」
街から離れ、明るく、治安の良い都心部へ向かう。
「運命とか、そういうものでしょうか」
「さあ、興味はないな」
Fin.