monologue : Same Old Story.

Same Old Story

欲求制御装置

『そもそも、過ぎた欲求を持つから人間の不幸は始まるのですよ。身の丈に合った幸せで我慢できるようになれば、今地球上にあるほとんどの問題は解決できると私は考えます』
『しかし先生、もしそれが事実だったとして、どうすれば人間は分相応の幸せで我慢できるようになりますか? 欲望を捨てるために修行するのですか?』
『簡単な話です。脳内の信号は全て微弱電流によって制御されますから……特許申請中のため詳細は割愛しますが、私が欲求をコントロールする装置を開発しています』

鼻で笑うコメンテーターに構わず、何かの研究者かどこかの教授か、初老の男は真剣に語りつづけている。『人類を変える! 感情制御装置』と題された特別番組を、僕と妻はソファに腰掛け、ちょっとした年代物のワインを飲みながら観ていた。

『では、ひとつそのテスト効果を見ていただきましょう』

初老の男が手を上げて合図を送ると、テレビ画面には実験の映像が映し出された。頭に電極のようなものを付けたハツカネズミの映像。

『今、この実験体は食欲を制御されています』

檻の中にどれだけ食糧を放り込まれても全く気にすることなく、ハツカネズミは木の枝をかじりつづけている。

「これ、何かの仕掛けがあるのかな?」
「さあ、どうかしらね」

映像が早送りにされる。画面の右上隅に倍速、四倍速、八倍速……と文字が表示される。数十倍、数百倍にまで回転率が上がったところで、実験映像は画面右下隅へ追いやられ、さっきの二人が画面に再び映る。

『さあ、ご覧ください……過剰に食欲を制御されたため、どれだけ空腹を感じても餌に目もくれません。このままこの実験体は餓死します』

その言葉通り、ハツカネズミは食糧に囲まれたまま痩せ衰え、やがて横たわったままぴくりとも動かなくなった。コメンテーターはしばらく絶句していたが、やがて強い口調で非難を始めた。

『これは危険な結果と言えませんか、先生』
『極端な例を挙げただけです。生存に最低限必要な欲求には制限を加えず、欲求の段階として上位のもののみを対象として抑制を行えば良いのです』
『しかし、一歩間違えば人を死なせてしまうことに』
『確実なシステムの下に一元管理を行えば、制御は決して難しいことではありません。分不相応な欲望を制御すれば、調和の下に大多数の人間が幸福を感じるのですよ』

言い合いは段々とエスカレートして、お互いの宗教的な背景を感じさせるような、良心や倫理観やそういったものが強調されるようになっていく。

「どっちもどっちだな……少しは譲歩すればいいのに」
「ええ、そうね」
「番組の最後に視聴者投票があるらしいけど、どっちが優位になるかな?」
「さあ、わからないわ」

コメンテーターが机を叩き、唾を飛ばしながら大声を出す。

『可能性が少しでもあるのなら控えるべきだ、人工的に人々の感情を鈍化させるなんて誰にも許されることじゃない』
『何度も申し上げているでしょう、制御するのは感情でなく欲求です。それも身分不相応とでも言うべき、他人を侵食しうるものだけ』
『今は何とでも言えるが、万が一実装なんてしたら……途中ですが、一度コマーシャル入ります』

コメンテーターが用意された水に口を付ける映像に番組タイトルのロゴが被り、数十秒ぶんのコマーシャルへと切り替わる。

「大人げないな」
「ええ、そうね」

思わず吹き出す僕の隣で、妻は微笑みもせず、静かに座っているだけだった。やがて番組タイトルロゴとスタジオの俯瞰映像から、番組の続きが始まる。

『先ほどは興奮しまして、お見苦しいところをお見せしました』

コメンテーターが、さっきとは打って変わった態度で謝罪する。

『私のような知識を持たない者が、先生に対して技術的問題を含む進言とは身の程知らずでした』
『ええ、全くですよ。私は私の経歴を賭けて今回のプロジェクトを推進しているのですから、無知ゆえの馬鹿げた発言は、身の程をよく考えてからにしていただきたい』
『いや、これは申し訳ない』

コメンテーターが間の抜けた表情でへらへら笑う。

「……ちょっと様子がおかしくないか?」
「そうかしら?」

『では、視聴者投票に移ります。当局が用意した電話番号へ、本装置への肯定意見は番号末尾に一を、否定意見は末尾に二を加えてダイヤルしてください』

「……もしかして、このコメンテーター、洗脳されてたりしてな」
「洗脳?」
「さっきのハツカネズミ、見ただろ? 食欲抑制で死ぬまで食べないんだから、何かの欲求を抑制したら、あっちの男の言うなりになるくらい、難しいことじゃないんじゃないか」

冗談半分に初老の男を指差しながら言うが、妻の反応は薄かった。

『視聴者の皆様のご意見はリアルタイムで発表していきます』
『私の素晴らしい構想と発明に、馬鹿げた反論を寄越してくれても構わんよ。出来の違いというものを実感するのには良い機会だろうし、そんなくだらない欲求を抑制する気にもなるだろう』
『これは手厳しい』

コメンテーターは相変わらず、へらへら笑っている。

「お前、どこか具合いでも悪いのか?」
「私? どこも何もないわよ」

妻の手の中の、ワイングラスの中身は全く減っていない。

「……飲まないのかい? それ」
「だって、高いんですもの、よく味わわないと勿体ないわ」
「少しも減ってないじゃないか」

どうも、様子がおかしい。

「そういえば、お前が欲しがってたあのバッグな、先週言ってた」
「ええ、もう結構ですわ。バッグなら持ってるもの」

テレビでは視聴者投票の結果がグラフで現されている。その意見のほとんどはあの装置に対する賛成意見で、それを見つめる妻の横顔はどことなく生気が抜けているようにも見えて、僕は脇の下を嫌な汗が流れるのを感じていた。

『くだらない反対意見はほとんどないようだな』

初老の男がつぶやく。

もしあの装置が外見を変えて、既に世の中に出回っていたとしたら? 例えば健康商品か何かの名目で。欲求と感情を削られた人間は、他人の指示に従うだけの存在になってしまうのではないか?

妻は黙ったまま、テレビに表示されるグラフを見つめている。

Fin.

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