Same Old Story
隣部屋の出来事
- Sounds from Someone
- http://www.junkwork.net/stories/same/211
「それで、僕がその、何だって言うんですか」
「いや、別に何だと言うわけじゃないんですがね」
まだ冬の入口だというのに、マフラーとコートと革手袋で完全防備のその男は、懐からごそごそと、一枚の紙切れを取り出して僕に見せた。
“壁際から妙な気配。穴でも開いていて誰かが覗いているのか、なんて妙な考えを持つ”
“隣の部屋からぞっとするような音が聞こえる。あれはいったい何の音?”
古いノートの切れ端のコピー、だった。日付もあることから、日記か何か、あるいは手紙の一部だろう。
「……これが?」
「お察しの通り、あなたの隣部屋の住人のものです。若い女性でした」
「さっきから、いったい何が言いたいんだ」
「いえね、別に、その、何だと言うわけじゃないんですが」
そう言って男は、僕をまじまじと見つめた。
「……知ってますよ、隣部屋の住人、その女の子のことは」
どうしてこんなくだらないことを話さなくちゃならないんだろう、と、ため息まじりに僕は切り出した。彼に話す必要なんてないはずだし、そんなことは僕が話す必要もないはずだった。男は、待ち構えていた獲物の尻尾を掴んだように、かっと目を見開いた。
「行方不明になったって言うんでしょう? 知ってますよ、そんなことは」
「それだけですか?」
「は?」
「知ってることはそれだけですか、と聞いたんです」
激昂して掴みかかりそうになるのを、何とか堪える。
「……じゃあ、やっぱりあなたは僕が、その事件に関係しているとでも言いたいんですか」
「いえ、そんなことは」
「嘘だ、さっきから黙って聞いてりゃ、言いたいように! いいか、僕は……」
「ええ、ええ、最後までおっしゃらずともわかっております」
余裕たっぷりの態度で、掌をかざし僕を制止する。
「その事件が、あなたの入居する一週間前に起きたということも」
「……そうだ。入居してからも何度か警察が来たけど、もう全部話した。僕は入居の三日前に、大家から聞いただけだ。隣の女の子とは顔を合わせたこともないし、事件があったらしい日にはここにいなかった。潔白だ。どこにも疑う余地はない」
「ええ、わかっております」
「じゃあだったらいったい」
僕の言葉を、再び制止する。
「このコピー、ご覧になったことは?」
さっきの紙切れをひらひらと振って見せる。
「……一度だけ、警察が持ってきたことがある」
「どう思われましたか?」
「もう一度言うけれど、僕は潔白だ。何かの証拠を見せたつもりになったって動揺しないさ」
「いえ、そうでなくてね。あなた、賃貸契約は二週間か一ヶ月かそれくらい前に結ぶでしょう? そして、入居の一週間前に起きた事件を、入居の三日前に聞く。あなたがいないあなたの部屋の隣で起きた事件のことについて」
「……?」
「この、ぞっとするような音、っていうのは何でしょうね?」
主不在の、僕の部屋から?
「……知るか」
「ええ、そうでしょうね」
「……帰ってくれ」
「ええ、そうですね。長々とどうもお騒がせしました。それでは」
散々僕をばかにした割に、あっさりとその男は引き下がっていった。
「ぞっとするような音、か」
眠っているときに一度だけ、聞いたことがある。今はもう誰もいないはずの、あの女の子が住んでいた部屋の方から。壁の向こうで、例えればまるで、何か硬くて大きなものを、一息に引き裂くような、本当に今まで聞いたことのないような音。
「……そういえば?」
さっきの男は誰だったのだろう? 私服警官というわけでもなかった、ジャーナリストという雰囲気でもない。僕はなぜ、あんな男とやり取りをしていたんだ?
ふと妙な気配、誰かに見られているような感覚に包まれ、ゆっくりと振り向く。そこには、真っ白な壁しかなかった。あの、女の子の住んでいた部屋の方。
Fin.