monologue : Same Old Story.

Same Old Story

不在証明

「世界中のありとあらゆる時計を全部壊してしまえば、世界中の時間が止まるだろう……もちろん時間を計る道具がないんだから、明らかなことだがね」
「そんなこと言ったって、人間は息をしたり動き回ったりするんじゃないか。太陽だって昇るし草木も成長する」
「時間が止まった世界で僕らが生きていけない理由なんかないだろう」
「……机上の空論というか、詭弁だな」
「思考実験だよ」

屁理屈を屁理屈で打ち消すようなやり取りが続き、結局最後にはいつも、お互い笑い飛ばすようにして話を終える。酒が入っていれば時には、終わりのない罵りあいになることもあったが。

「懐かしいな」

もう十五年ほど前のことか。大学のサークルの、無許可で集まった講堂のひとつを思い出す。さびれたその部屋は、僕らの仲間数人が集まるときだけ、花の咲いたように騒がしくなった。

「偶然の再会、なんてな。まさかあんなところですれ違うなんて。お前、今何やってんの?」
「……昔と変わらないよ。くだらないことを考えたり、実証できるか試してみたり」
「へえ、じゃ何か、研究みたいなことやってるわけ」

その十五年来の友人に、偶然街中で再会した。近況報告でもすることがあるかと、近くの喫茶店に連れ込んだ。

「いや、別に研究ってほどでも」
「お前の発想なんかよっぽど学者肌だと思ってたんだけどな。あれだよ、時計の話」

彼が紅茶を口にし、僕はコーヒーを口にする。

「時計?」
「ほら、世界中の時計を壊す話。いつかお前、時計壊してまわって捕まって、ニュースになるんじゃないかと思ったよ」
「そんな風に見えたかな」

思考実験の話をするときに彼は、これが証明できるんなら命をかけてもいい、と息巻いたものだった。

「それで、今はどんな……その、思考実験ってやつを」
「変わらないよ、延長みたいなもので」

うつむいて小さくため息をつき、時計を見てから、搾り出すように話し始める。

「ひどく辛いことがあってね。それはもう、生まれてなんかこなければ良かったと思うくらいに」

突然の独白に面食らい、僕は言葉を失う。

「大学を出てすぐのことだ……生まれてこなければ、なんて言ったけど、死ぬ勇気なんてものもなかった」
「お前、何馬鹿なこと」
「もう諦めたよ、早々にね。そこで、色々と考えたんだ」

口が渇く。コーヒーを一気に流し込む。

「時計の延長だよ。自分を知ってる人間がいなくなれば、ふっと消えていなくなるんじゃないかと思ったんだ」
「今ここで、こうして話してるじゃないか」
「……大学を出てからどうしようもない絶望に遭って、今日に至るまで、一歩ずつ自分の足跡を消してきた。戸籍上僕はもういない人間になっているし、会社や学校や僕が関わったものからは除籍扱いを受けたことになっている。多分もう、公式には名前は出てこないだろう。その後自分に関わりのあった人間にそれとなく近付き、僕を覚えていないことを確認した」

口が渇く。グラスに注がれた水を飲み干す。

「幸いにもほとんどの人間は僕のことを覚えていなかった。僕の容姿もだいぶ変わったし、何か強烈なきっかけでもなけりゃ思い出しはしないだろう。一メートルまで近付いても何の反応もしなかったやつだっていたよ」
「……覚えていたやつは、どうしたんだ」
「君で最後だよ」

ポケットの中から茶色の小瓶を取り出し、テーブルの上に置く。僕はそれをじっと凝視していた。

「中身はよく知らない。ただ何となく、深い眠りに落ちる。それで、眠りに落ちる前後のことを著しく忘れてしまう。目覚めた後には鈍い頭痛がしばらく続いて、ずっと昔のことを、いくつか忘れてしまう……らしい。再度近付いたときには、もう誰も僕のことを覚えていなかった。君で最後、三人目だよ」
「待てよ、僕はお前のことを忘れなんか」
「もうすぐ効いてくる。もう追いかけてくることはできないだろう」

彼がゆっくりと席を立つ。僕も立ち上がろうとするが、膝に力が入らない。

「お別れだ。多分僕はもう一度、君が僕を覚えているか確かめに来る。けれど君は、きっと僕のことを覚えていないだろう。今までの二人もそうだったんだ」
「待て、待てよ……」
「あるいは、明日にでも僕は消えてしまうかも知れない。とにかく、さよならだ」

彼は振り返ることなく、喫茶店の外へ向かっていった。瞬きをするごとに視界がぼやける。歩き去る彼の姿もぼやけて見えたが、それが薬の所為なのか彼が消えつつあるからなのか、僕にはわからなかった。

Fin.

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