monologue : Same Old Story.

Same Old Story

真っ赤な車

いつだったかこんな景色を、憧れをもって見つめていた。今の私自身は、こんな景色に憧れていた頃の私が憧れた、素敵な未来の私からは随分と遠いところにあるに違いないけれど。

「済まないな。しばらくの間出向というかね、事務仕事を片付ける秘書が欲しいっていうんだが」
「……わかりました。期限はどの程度ですか?」
「まあ、何とも言えんね今のところは。彼らに受けた恩は相当なものだし……」

非合法な裏街に身体の半分を浸したような、薄暗く湿った組織で、私は秘書として働いていた。組織は表向きに小競り合いの仲介、債権の回収、ボディガードなんて仕事を引き受けて、裏側では違法賭博や銃器の密輸、麻薬の売買にも手を染めているらしかった。ボスの私設秘書である私にさえ打ち明けられないことに手を出しているくらいだから、自分の組織がどれだけ危ういものか、それなりにわかってはいるつもりだった。

「済まないな、近所への出張だと思ってくれよ」

そのボスの立場が危うい、ということを、少しだけ親しい警護担当の男から聞いた。どう危ういのか、警察に捕まるのか、別の組織に狙われているのか、もっと複雑な何かか、そんなことはわからなかった。ただひとつ、どうやら私は身売りに出されるらしく、ボスがそれほど好いてもいない別の組織の親玉のところへ、出向秘書名目で売り飛ばされるようだった。色んな同僚から色んな忠告を受けたけれど、私は全て飲み込んで知らない振りを通した。

「済まないな」

どんな集団にだって情は沸くし、お世話になった人の最後の望みくらい叶えてもいいだろう。迎えの真っ赤な車に乗り込むとき、私は今まで自覚しなかった自分の気持ちに気が付いた。

いつだったか憧れをもって見つめた、こんな景色。車の窓を、前から後ろへ軽やかに流れる。華美なネオンが我先にと空に向かって伸び、真っ暗な夜はもう来ない街。ここに暮らす人間の華やかさに、幼い私は憧れて、それがただの虚飾だったことに気付いた後でさえ、どうやってもそこから離れることができなかった。私は、誘蛾灯に集まる小さな羽虫のようなものなのかも知れない。身を滅ぼす迎えの車にもためらいなく乗ってしまった。

(本当は)

本当は、こんなところへ来たくなかった。本当はこんなはずじゃなかった。こんな自分のはずじゃなかった。小さな頃、同じように何かに憧れて、今は離れ離れになった友人たちを思い出す。彼らはどうしているだろう、自分のように踏み外すことなく、憧れの何かに届いただろうか。思わず頬を伝う涙を、車の運転手に気取られないよう、素早く拭い去った。

(そういえば)

離れ離れの友人の中に、こんな真っ赤な車に憧れた男の子もいた。きらめくような繁華街を、うっとりするスピードで駆け抜ける真っ赤な車。二人の夢が合わさったらそんなすてきなことになると、空想したこともあった。

ふと運転手に目をやると、ミラー越しに自分を見ていることに気が付く。泣いているのを悟られたのかと、私は顔を手で覆う。彼が言う。

「いや、すみません。やましい気持ちとかじゃないんですが」
「いえ、何も。私もちょっと、昔を思い出して」

真っ赤な車の中の二人に、鈍く沈んだ空気がまとわりつく。何か話すべきか話さずにいるべきか、今の私はそんなことも決められなかった。数秒か数十秒か、とても長く感じられた時間をどうにかしようと口を開きかけたとき、運転手から言葉が投げかけられた。

「いやね、私の幼馴染に、あなたとそっくりなのがいてね。その子もこういう、繁華街で働くようなことを夢見てたから、今頃どうしてるかと思って」
「……繁華街で働く、っていう」
「そう、そんな夢を。私は車が好きで、運転手の仕事にどうにかありついたんですが。一番好きな赤い車に乗せてもらえるなら、っていうんで安くね」
「……そうね」
「すみません、どうでもいいですねそんな話」

運転手、彼が私の幼馴染かどうかは、大したことではないかも知れない、と思った。けれど私は、もしもそうだとしたら、こんな素敵な、ラストチャンスもあるものかも知れないと、期待を込めて、言葉をつなぐ。

「綺麗な繁華街を、あなたの真っ赤な車で、走り抜けたら素敵なことだわ。私がもし誰かに追われていたら、あなたの真っ赤な車でどこかへ連れて行って」

幼い私が彼に伝えた気持ち。私は、ずっと逃げ出したかったのかも知れない。一瞬驚いたような表情をみせた彼は、何も言わず静かにアクセルを踏み込んだ。私は、頬の涙をもう一度拭い去った。

Fin.

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